第一章・第十話
『暗い龍・下』
「じゃあ、これはどお?」
ゆらりと上げた右手に紅い紋が開かれる。
初めて見る呪紋。エディット。
しかし、セリアには全くとして怖気づいた様子は無い。逆に、呪紋使いに向かって走り出した。
「怨」という低い音と共に、紋から光の矢が飛び出す。
その数はざっと二十。
弾丸めいた速さで飛んでくるそれを、セリアは右手に携えた白銀の剣を二,三度振り上げるだけでいとも簡単に打ち落とした。
「私、急いでるの」
「な――」
そのまま呪紋使いを間合いに捉え、渾身の力で剣を横に振った。
勝負は正に一瞬だった。
残――と確かな手応えを感じ、セリアは後方にジャンプして一息で間合いを広げた。
どさり、と肉が地面に落ちる厭な音がし、セリアは構えたまま顔をしかめた。
「く――、何てデタラメ」
「デタラメなのは、あなたでしょう」
呪紋使いの体は腹から両断され、腹から上が地面に落ち、苦痛の表情を浮かべている。
立ったままの下半身からは、おびただしい血が流れ出し、地面を朱く染めている。
「やはりこのPCでは駄目ね」
「最後に。あの暗い龍はあなたの仕業?」
「いいえ。あれは―――あなたの仕業よ。また逢いましょ」
ふぅと生暖かい吐息を吐いて、呪紋使いは消えた。
跡形も無く。
血の一滴さえ残さずに。
呪紋使いが消えて、考えるのも億劫で、私はさっさとダンジョンを抜けることにした。
きっとマークが待っている。
薄暗い階段を抜け、一気に平野を駆け抜ける。
一つ目の丘の上で、私は信じられない光景を目にした。
辺り一面虫食いの様な穴が開き、そこから何か得体の知れない文字の様なモノが覗いている。
その中心に、暗い龍はいた。
「マーク!」
ドォォォンと落雷の様な音がし、同時にマークが暗い龍の角に全体重を掛けた斬撃を加えた。
落下するマークをランセオルが救い上げ、唸る龍を尻目にこちらへ飛んできた。
「マーク!」
「ああ。無事だ。それより・・・」
マークは暗い龍をちらりとみて
「俺とランセオルだけじゃ、火力が足りない。手伝ってくれ」
「―――もちろん!」
それはどんなに素敵な笑顔だったか。
まったく。こっちが困るぐらいの笑顔を浮かべ、セリアは俺の手を握った。
そのままセリアをランセオルの肩に引き上げ、暗い龍に向き直る。
「角・・・弱点みたいだ」
オオオオオン・・・
暗い龍はもうそこまで迫ってきていた。
諸刃の剣を握り直し、先ずマークが飛びかかった。
「イヤアアア」
ガキンと火花を散らし、角に一撃を見舞う。暗い龍はぐらりとふらついたが、尻尾を鞭の様にしならせマークを叩きつけた。
「ぐはっ!!」
ボキボキと肋骨がイカれる厭な音がし、ランセオルの救出もままならず地面へ落ちた。
「マーク!」
ランセオルの肩から飛び降り、マークに駆け寄る。
それを追ってきた暗い龍は、しかしランセオルの電撃に阻まれた。
「おねがい、もう少し耐えて」
セリアの言葉に頷く様に、ランセオルは咆哮を上げる。
「しくじった・・・」
血と一緒に『治療の水』を飲み下す。
患部がしゅうしゅうと煙を立てながら、コキコキと骨の繋がる音がする。
まるで煙と一緒に傷という事実自体が溶け出しているようだ。
「やっぱ、外とは違うな」
そこで気付いた。
マークの鎧は既にズタズタで、損傷が激しい。何度攻撃を喰らい、何度治癒したのだろう。
私が来る間、マークは対等に戦っていたのではない。耐えていたのだ。
見上げると、空ではランセオルが絶え間なく暗い龍に電撃を浴びせている。
「えっ・・・?」
さっきまで歯をギリギリと鳴らしながら痛みに耐えていたマークが、素っ頓狂な声を上げた。
「今度は私が―――」
と言いかけたところで、ランセオルの悲鳴が轟いた。
「何?」
マークとセリアのすぐ側にズドンと落ち、それきり動かなくなった。
体には至る所に虫食いの様な穴が開き、そこからもやもやとした何かが滲んでいる。
「もう三体目だ・・・。けど、今回のはちょっと違うな」
「どうゆうこと?」
「前の二体は、あんな虫食い――なかった」
ウオォォンと唸る暗い龍は、体のそこかしこに心臓があるみたいに脈動している。
バキバキと音を立てながら、暗い龍は絶望を与えるに充分な姿に形を変えた。
「くそっ! 何だよあれは!」
「一定のダメージを与えると変身・・・よくあるパターンね」
そうセリアが呟いた刹那、暗い龍は二人に向かって黒炎を吐き出した。
「くっ―――」
炎の揺らめきは目に見えるほどゆっくりと。
迫り来る速さは目に見えないほど速く。
眼前で口を開いた龍に変化したそれは、何の躊躇いも無く二人を丸呑みにした。
事は終わったのか・・・暗い龍は体をくねらせ、塒へと首を向けた。
じりじりと燃えていた黒い火球は、やがて燃え尽きた炭の様に灰となった。
その変化に不審を抱いたのか、炎の主は振り向き様再び黒炎を吐き出した。
黒炎が灰の塊に当たった瞬間、灰の球から光の帯が放射状に飛び散り、黒炎をかき消した。
黒炎が二人を包んだ瞬間――
「セリア・・・?」
「えっ?」
セリアは目を丸くして自分の道具袋に手をやった。
「これは・・・」
取り出したのは、ローブのポケットに包まった一つの宝石。
手触りはまるでゴルフボール。ビー玉大のそれは、加工されたダイヤモンドの様に幾多の面でできているようだ。
ローブから取り出し、訳もわからないまま掲げる。
二人を焼き尽くそうとする炎は、二人を包む光に阻まれ、その足を止めた。
「暖かい」
目を開けていられないほど明るいのに、日向ぼっこをしているような温かみを感じる。
「どこでそれを手に――くっ!?」
二人を包む光の結界に強い衝撃が走り、次の瞬間――表面の灰の割れ目から光が次々と溢れ出し、飛散した。
辺りを真昼の様に明るく照らすと、やがて光は収束し、暗い龍の一点を指した。
「あれは・・・何となく弱点っぽいな」
言って、光の指し示す部分に狙いをつけたが、その前にセリアが飛んでいた。
「えぃっ!」
場違いなほど可愛らしい声を出し、セリアは暗い龍に剣を突き立てる。
グオォォンと地鳴りの様な叫び声を上げ、暗い龍は尻尾を地面に叩きつけた。
セリアが離れると同時に、今度は俺が一撃を見舞う。
恐ろしいほど完璧なタイミングだった。喰らい龍は突き立てた剣ごと暴れ回った後、その巨体を地に沈めた。
地に落ちても尚、耳を劈くような声をあげ暴れたが、やがて風に削られ、崩れる砂人形の様に消えた。
残ったのは黒い染みの様なものと剣のみ。
俺は剣の柄を握り膝をついた。
「終わったのかぁ」
意外に情けない声が出て、セリアはそれに苦笑いで答えた。
ボスを倒した後は次への道と希望が現れる――RPGと呼ばれるものはいつもそんなものだ。
俺は剣を鞘に戻し、セリアの元へ向かった。
To be continued