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第一章・第四話

『ザ・ワールドの目的』


「ごめんな、約束したのに」
「ううん。やっぱ、リアルも大事だもんね」
 ザーと耳障りな音。
 まるで真実を隠すかの如く、空は暗黒の雲で覆われている。
 世界は闇で満たされ、時々走る雷が、ほんの僅かな間だけ、このセカイの在り方を示していた。
 起伏の無い平坦な平野。そこに、小さな小屋がぽつんと建っている。
 その中では、二人のPCが互いに俯いたまま向き合っていた。
 二人とも重剣士タイプ。―――違うのは、男と女。
「もう行かないと」
 男の方が、ぼうとしていたのか、気がついたように呟いた。
「最後の冒険・・・楽しかったよ」
 少女の肩が震える。
 ―――最後の冒険に自分を誘ってくれた感謝と、共にプレイした日々を思い出して。
 最後に、男は自分の身長と同じくらいの大剣を取り出し、少女に差し出した。
「これ使って。今のお前じゃ、SPの限界で使いこなせないと思うけど」
 うん・・・と言って、少女は抱くようにそれを受け取った。
「もう時間だ。しけた顔すんな」
「うん・・・」
 少女を元気付けるようにやさしい笑顔を浮かべる。――男は、ザ・ワールドの自由度の高さをこれほどありがたいと思ったことは無かった。
 そして、男は手を振ってこのセカイから姿を消した。

 Θ(シータ)サーバ
 高山都市、ドゥナ・ロリヤック。
 吹き抜ける風は、高い所にあるせいか冷たく感じる。遥か頭上の風はもっと激しいのだろう。雲の動きが速い。
 魔除けのためか、それとも岩が落ちてこないようにか、高くそびえ立つ岩山には呪紋布が巻かれ、建物の岩肌には直接書かれている。この広々とした光景相応に、皆ゆったりとしている気がする。
 プチグソの小屋の横で、僕は寝そべり、彼女は座っている。
 二人とも何をするでもなくぼうとこの蒼い空を見上げたり、行き交う人達を眺めたりしている。
「ねえ、ユキト。何でザ・ワールドやってるの?」
 フィアは寝そべると、ぽつりと呟くように聞いてきた。
「友達に誘われて・・・かな。それと・・・いや、何でもない」
 もうひとつ理由があったが、この場では伏せておくことにした。
「ふ〜ん」
 期待していた返事ではなかったのか、興味なさげに相槌を打つ。側を通った猫の様なPCをちらりと見た後、寝そべったままごろんと僕の方に顔を向けてきた。
「ん?」
 目の前に迫るフィアの顔。表情のない顔で見られると、何となく見透かされているような、そんな感じがする。上下に動く顔を見ていると、自然と下のほうに目が行ってしまった。
「どこみてんのよ」
 フィアはそう言うと、眉間にしわを寄せておでこをつついてきた。
「あ、ご、ごめん!」
 思わず顔が赤くなる―――モーションを入力。
 ・・・よくできてる、このゲーム。
 と、感心していると
「なぁ〜んてね」
 などとニパッと笑って立ち上がった。
「リアルのあたしもこんぐらいあればバッチリなのに」
 何がバッチリなのかわからないが、胸の部分をさすりながら流し目で僕を見る。
「じゃあ、リアルのフィアは・・・」
 ぺったんこ? と余計な最後の一言を言い終わらないうちに、フィアはぐっと、悔しそうな顔をして走って行ってしまった。
「ユキトのバカ!」
 と”大声”で叫んで。
「またやっちゃった」
 余計なことを言ってフィアが走り去るのは、初めて一緒に戦ったときを含め、これで三回目だ。
「追いかけなくちゃな」
 余計なことを言ったのは認めるが、何より「ユキトはリアルに変態!」と”大声”で叫びながら走るのはどうかと思う。下手するとPC名ユキトはこのサーバーにいられなくなってしまう。
 周りの視線を感じながら、僕はフィアの走って行った方向に走り出した。

 程なくしてフィアは見つかった。
 フィアはタウンの端の方で、地面に突き刺した大剣に背を預けていた。
「ユキト、ひどい」
 ほっぺたを膨らましながら言った。
「うん・・・ごめん。調子に乗った」
 フィアの後ろに立ったままで、しばらく黙り込む。
「・・・・・・」
 チャット欄には沈黙を表すてんてんてんが表示される。
「・・・ごめん」
 動かないフィアの背中にもう一度言う。
「もうちょっと人に気を配りなさいよね!」
 立ち上がり、振り返る。その頬は膨らんだままだ。風船は、しばらく割れそうに無い。
「はい。すみません・・・」
 ・・・って、フィアに言われたくは無いな。
 などと、つい小声で愚痴ってしまった。
「何ですってぇ?」
 フィアは目をさらに細め、おでこを押し付けてきた。
「チッ」
 ・・・。
 どうやら聞こえ(認識され)てしまったらしい。
 どうも最近、朋美と邦彦に接するときと同じように、フィアと接してしまうようになってきている。もともと人見知りが激しい僕には珍しい事なのだが、意外と傷つきやすい彼女の為にも、今後は音声認識の感度を下げるべきかも知れない。
「はい。ごめんなさい」
 三度目の正直とばかりに、頭を下げる。その動作に満足したのか、フィアはニコニコしながら頭を撫でてきた。―――「そうそう、もっと素直になりなさいよ」などと、どっかの誰かと同じようなことを言いながら・・・。

 そういう事で無事仲直りした僕らは、結局Θサーバのエリアに挑戦することになった。折角だからという事で、Lvの設定はかなり高くするつもりだ。相手にならなかったらバトルモードが解除されるところまで逃げ、ゲートアウトする作戦だ。
 セーブをとった後、別々に行動し、足りないアイテムを買い込んだ。
「いい、気ぃ抜かないのよ!」
 カオスゲートに集合した途端、フィアは僕にカツを入れてきた。振り回した大剣が頬を掠め、HPが僅かに減った。
「うん。蘇生の秘薬いっぱい持ってきたから大丈夫」
 ささやかな嫌味に気付かないのか、フィアは大剣を床に勢い良く突き立てよしと気合を入れた。
「私も闘士の血持ってきたから大丈夫」
 振り返り、にこやかに闘士の血をちらつかせる。
「ぅ・・・」
 気付いてたのか・・・。フィアは僕の攻撃力の無さを指摘する嫌味を言っているのだ。
 しばらくにらみ合っていたが、邦彦と約束していたのを思い出し、僕は口を開いた。
「とりあえず、ワードはランダムでいい?」
「Lvは20限定ね」
「わかった」
 何度か”ランダム”を選択していると、まもなくLv.20のエリアを発見した。
「ここでいい?」
「いいわよ」
 妙に自信たっぷりなフィアに疑問を抱きながら、僕はフィールドに転送された。

吠え盛る 祝祭の 三色すみれ

 転送された先は、ピクニックに来たくなるようなエリアだった。まだ高い位置にある太陽は、薄い雲に隠されたりしながら地平の先にまで光を配っている。
 元は立派な門だったであろう建造物の隣で、ナップルアップルが泣いている。
「ほら、行くわよ!」
 ナップルアップルを取り終えた僕に向かって、フィアはだいぶ先の方から声をかけてきた。
 ・・・もうあんなところにいる。全く、ちょっとは待―――
「ユキト! 後ろ!」
 フィアが叫ぶと同時に、僕のHPは一瞬にして三分の一近く削られた。
「―――!」
 振り返り様両手の剣で斬りつける。一回、二回・・・まるで刃が立たない。
「くっ・・・」
 敵の二度目の攻撃で、HPは半分以下になった。慌てて『癒しの水』を使ったが、三度目の攻撃でその行為は無に帰した。
 キンキンと瀕死を意味する音が鳴り、慌ててフィアが駆け寄る。敵は図体が大きい分、動きが遅い。自信ありげなフィアとバトンタッチし、後方で回復、『快速のタリスマン』を二人に使った。
「thx☆ ユキトは回復に専念して!」
「分かった!」
 ディレイのあるリプスでは間に合わない為、『癒しの水』を大量に使う。Lv的には僕と同じな為、回復のタイミングには気を使った。
「ジュスマッシュ!」
 敵に近づき、一回目の攻撃を回避、横に回りこんでフィアはスキルを発動させた。
「えっ!?」
 フィアの放ったスキルに、僕は目を疑った。
「かなり効いてる」
 前方に宙返りをして、その体に似合わない大剣を振り下ろす。SPを大幅に消費するのか、一回ごとに気魂を使う。しかし、ダメージは確実に敵の命を奪いつつあった。
 気魂を使うタイミングが妙に手馴れている。
「どう? すごいでしょ?」
 三回目のスキルで倒れたこの敵は、今の僕には到底倒せないだろう。何せ、この戦闘で得た経験値は普段の倍近くはあるのだから。
「どうしたの! その武器?」
 魔方陣は閑散としていているが、一応の安全を確認してフィアに走り寄る。
「へへ〜、貰ったんだ」
 大剣をさすりながら微笑むフィア。
「結構Lv高いんじゃない? その武器」
 羨ましげに見る僕を優越感に富んだ顔で見る。
「なんとなんと、Lvは50!」
「そんなの良く貰えたね」
「う〜ん、ていうか、形見・・・みたいなものなんだけどね」
 フィアはもじもじとしながら、下を向いて言った。
「形見・・・?」
 その言葉を聞いて、僕は無意識にミネルトから貰った『絆の双刃』を強く握り締めていた。
「あっ、そんな深い意味無いから気にしないでよ!」
 僕の沈黙を勘違いしたのか、フィアは慌てた声で言った。
「私の知り合いがザ・ワールド止めさせられるからってくれたんだ」
 最近、ザ・ワールドのやり過ぎで日常生活もままならない人間が増えてきているらしい。ザ・ワールドによる出席率の低下は、進学校である僕の学校では大変な問題として取り上げられ、校内新聞までPTAの検閲がかかるほどになっていた。フィアの学校は最馬女子大付属高等学校だと聞いていたので、彼女の学校では尚更それが厳しいのだろう。
「そっか。大事にしなきゃな」
 そうだね、と強く剣を握り、フィアは次の魔方陣に突撃して行った。

 フィアのおかげで、このエリアだけでLvを3つも上げることができた。戦闘は死と隣り合わせの緊迫したものだったが、僕は回復に専念した為、何とか戦い抜くことができた。
「ありがとう、あっ、そろそろ時間だからこれで」
「うん・・・・・・じゃね」
 その”間”に何となく後ろ髪を引かれた気分になりながら、ログアウトした。

 フェイスマウントディスプレイを脱ぐと、見計らったかのようなタイミングで玄関のベルが鳴った。僕は窓を開けると、下を見もしないで「上がって来なよ」と言った。もちろん訪問者が誰だかわかっているつもりだ。
 机の横の自作の棚から、カップとソーサーを二組と、ティーポットを取り出す。棚の二段目から、いくつかある中からローズヒップを選び、ティーポットに入れた。僕の自慢のバーカウンターならぬティーカウンターだ。
 ティーポットにお湯を入れていると、階段を上る足音が聞こえた。
 階段を上りきったすぐ横にある部屋のノブを回すと、邦彦は「よう」と、部活後の開放感でさわやかさが増した挨拶をしてきた。僕は同じように「よう」と答えた。
 邦彦は部屋に入ると、スポーツバックをドアのそばに置き、ベッドを兼ねるソファに腰を下ろした。
「相変わらずまめだな」
 窓際にのんびりと並んでいるサボテンを見て、邦彦は背伸びをしながらそう言った。
 僕はソファの前に小さな折畳式のテーブルを出し、その上に紅茶を置いた。邦彦は何度も息を吹きかけ、慎重にズズズと一口飲んだ。
「で? 上手くいってるか?」
 パソコンを顎でしゃくって、ニヤニヤと探るように聞いてきた。
「そんなんじゃないって」
 僕はフェイスマウントディスプレイを手で持て余しながら、きっぱり答えた。
「そうそう、今日は何しに来たんだっけ?」
「あ、そうだ。これ渡しに来たんだ」
 ガサガサと紙袋の音を立てながら、鞄の中から一冊の本を取り出した。
「ザ・ワールドの歩き方?」
 邦彦が取り出したのは、先日発売した「ザ・ワールド」の攻略本だった。ワードの作成方法、プチグソの育成方法等の諸データが主な内容で、今回発売したのは初心者〜中級者を対象としたものだ。
「初心者のお前にと、わざわざ持ってきたんだ。これはな・・・」
「あ、それ。ごめん、持ってる」
 邦彦が説明しようとした矢先、間髪入れずに即答してしまった。
「げ・・・」
 邦彦の数少ない行為を無駄にした。
 邦彦はしょんぼりしながらぱらぱらとページをめくった。
「そうだ。邦彦はザ・ワールドで何て名前のPC使ってるの?」
 話題転換をしようと邦彦を見ると、もう立ち直ったのか、何やら楽しそうにくすくす笑っていた。
「きっとお前もう会ってるぞ。だけど・・・秘密だ」
 今日のところは断固として教えないつもりだろう。まあ、大方の予想はついているけど。
「あとさぁ、俺思ったんだけど」
 邦彦は十分に冷めた紅茶を飲み干すと、ソファから立ち上がり、僕の持っていたフェイスマウントディスプレイを手に取った。
「これお前の親父からもらったんだよな?」
「うん」
「ニューロゴーグルFMDじゃん、これ」
「にゅーろごーぐるえふえむでぃー?」
 僕は英語の分からない子供のように聞き返した。
「ああ。これ再来週発売なんだ。BBSで色々と噂されてるじゃん」
  発売前の製品を息子に渡すなど、流石は父さんだ。もしかしたら、黙ってモニターにでもするつもりだったのかも知れない。
「使い心地は?」
「いいと思うよ。表情とかのアクションも自然に読み取ってくれるし」
「へぇ〜。誤認率0.49%も伊達じゃないってことか」
 邦彦は珍しそうに、ひっくり返したり音量調節をいじったりした。
「これちょっと貸して」
「いいよ」
 邦彦はニューロゴーグルFMDを被ると、音声認識等の諸設定をし、ザ・ワールドのショートカットをクリックした。
 ディスプレイはALTIMITのスクリーンサーバーに代わり、こちらからは何も見えなくなった。
「おお〜。画面綺麗になってる」
 満足げな声を上げる邦彦。指はせわしなく動き、知り合いにでも会ったのか、今僕のうちに来ていること、新製品のニューロゴーグルFMDを使っていることなどを話している。
 ゴーグルを深々と被って、誰がいるわけでもない机に向かって喋っているその光景は、はたから見ると意外と情けなかった。これでは、知らない人が見たら恐ろしくも思うだろう。
「祐斗、ちょっと戦ってきていい?」
「うん」
 時間がかかりそうなので、僕はソファに座り、紅茶をもう一杯カップに注いだ。
「ねえ、邦彦」
「うん? ・・・ああ、何でもない。友達が後ろにいてさ」
 僕との受け答えを、マイクが拾ってしまったらしい。邦彦は何度か会話を交わした後、僕に「いいよ」と手で合図した。
「邦彦Lvどれくらいなの?」
「秘密だ」
 えぇ〜と駄々をこねてみる。邦彦は、答えの代わりに「Lvを教えるってことは自分のステータスを教えるってことだ。あんまり教えたり聞くもんじゃないぞ。Lvが低いうちはPKの対象になるし」と言った。
「ついでに言うと、今のエリアレベルは30。Θサーバじゃここが限界だしな」
「不満みたいだね。少なくとも30以上ってこと?」
 邦彦はさあねと肩をすくませて答えた。
 突然、邦彦の指の動きが速くなった。戦闘に入ったのだろう。だが、それもほんの僅かで終わったようだ。
 しばらくすると、邦彦は「ふぅ〜」と背伸びをした。
「神像アイテムゲット」
「はやっ」
 恐らく3分もかかっていないだろう。僕の手元にあるカップには、まだ半分ぐらい薄紅色の液体がが残っている。
「さんきゅー」
 残り半分を飲み干したところで、邦彦はニューロゴーグルFMDを脱いだ。
「うん」
 ニューロゴーグルFMDを机の上に置くと、邦彦は椅子をこちらへ回した。
「あー、もうすぐ帰んなきゃ」
 時計を見ると九時近い。ここから邦彦の家までは自転車で十五分。スポーツバックを担ぎ上げ、もぞもぞと自転車のキーを探した。
「今日ログインする?」
「さあ」
 鍵はバックの前ポケットにあったようだ。取り出すと、給仕を呼ぶように、胸の辺りでチリチリと鳴らした。
「あの件、聞いてみた?」
 邦彦は急に目つきを鋭くして言った。あの件とは、朋美のことだ。
「聞いた。昨日初めて父さんの部署聞いたよ」
「それで、何かわかった?」
「いや・・・」
 残念。と、ため息をつき、邦彦は階段を下りた。
 僕は玄関先まで見送り、部屋に戻った。
 チリンッ! と大きなベル音が聞こえ、見ると一台の自転車が朋美の家の方向に消えて行った。

 二階は僕の部屋と父さんの書斎、両親の寝室、今は使われていない空き部屋の四部屋がある。三階は屋根裏部屋で、小さい頃、三人でここに入ってよく遊んだものだ。
「・・・・・・よし」
 何故か、父さんが必要に隠したがっている仕事内容が、今回の朋美の事に関係しているような気がしてならなかった。
 書斎は廊下の突き当たりにある。
 誰もいないはずの書斎に、抜き足で近づく。
 電気を点けていない為、廊下はまるで見知らぬトンネルのように異質に感じられた。
 ドアに添う様にしてノブに手をかける。
 なんてことはない。このノブを回せばこの扉は軽く開く。―――この書斎に過剰な期待を抱いているのか、妙に動悸が激しい。
「あれ?」
 書斎には鍵がかかってた。カチャカチャと金属が噛み合う音が廊下に響くだけで、書斎の扉はびくともしなかった。今日の収穫は無かった。
 仕方なく部屋に戻り、ソファに横たわった。
 窓を開けっ放しにしていたせいで、部屋の中はひんやりとしている。
 僕はぶるっと身震いし、置きっぱなしになったティーセットを洗いに、キッチンに向かった。

 ティーセットを洗い、居間でテレビを見た後、サクッと宿題を終わらし、パソコンを立ち上げた。
 父さんの仕事について、妙に気になりだしたからだ。
 CC社のホームページにアクセスし、Company Mapから営業・広告部門を探した。更にその中から広報部を選び、案内と最新情報を表示させた。
「企業PR及び渉外担当・・・父さんが言ってたのはこれか」
 その他は現在のTVCMの紹介や、新製品の紹介など、当り障りの無い事が書かれている。
「う〜ん」
 次に、『ザワールド』で検索をかけ、適当なファンサイトに入った。BBSでは、最近異常なモンスターが出現することや、アクセス制限がかかったエリア、赤い色の無敵のPCなどの噂で賑わっていた。その中で、興味深い書き込みを発見した。
『セリアさん最近ログインしてませんね〜。どうしたんだろ?』
 その下にはセリアの動向を心配するたくさんの返信があり、セリアの人望がいかに高いかを知ることができた。
 確かに、『碧眼のセリア』は有名だった。僕はその書き込みに返信することにした。
『初めまして。僕はセリアさんのリアルの友達で、PC名はユキトです。彼女は今、意識不明の状態で、某病院で治療を受けています。原因は不明ですが、倒れたときザ・ワールドをやっていたようです。何か知りませんか?』
 書き込みをすると、数分で返信がきた。
『ほんとですか?』
 ただの一行。僕はもう一度返信した。
『ほんとです』
 今度は一度に二件の返信があった。
『まさかセリアさんもそんなことになってるなんて・・・』
『最近その手の噂が多いですよね。意識不明・・・。セリアさんが早く良くなりますように』
 次に更新ボタンを押した時は、五件もの返信が来ていた。皆、朋美の容態を気にかけた内容だった。どんどん増える返信に、僕は目頭が熱くなるのを感じた。
 それぞれの返信に目を通していると、メールの着信音が鳴った。
『Δサーバ、川の先の裏路地で待つ。今すぐ来られたし』
 メールにはその一行の他は名前も何も書かれていない。
 直感的に、セリアの事についてだと思った。
「今すぐか・・・」
 時計は九時半を指している。寝るにはまだ時間があるので、行ってみることにした。

Δ(デルタ)サーバ

 Θサーバが開放されたことにより、マク・アヌも幾分人が少なくなると思ったが、相変わらず人の往来が激しい。カオスゲートの周りでは仲間を集める者や、自分の店の品揃えを声高らかにアピールする商人などでごった返していた。
 カオスゲートから真っ直ぐ進み、橋の手前で左に曲がる。裏路地とは、多分ここだろう。二ブロックほど行った先で、十六、七歳ぐらいの呪紋使いの少女が、二人のPCから暴行を受けていた。一人は剣士。もう一人は呪紋使い。髪の毛は乱れ、苦しそうにしている。リアルでも、この屈辱に相当苦しんでいるのだろう。PC同士だろうと、戦いの中ログアウトすることはできない。・・・どこか遠くへ逃げるか―――死ぬまでは。
 やめてくださいと必死に懇願する少女に、彼らはリグセイムをかけ、死なない程度にいたぶっている。
 剣士が言った。
「早く吐け」
 華奢な体が壁に叩きつけられる。小女は「うぅ」とうめき声を上げ、小な肩を震わせた。
「このっ・・・」
 ニヤニヤと嫌な笑いを浮かべる二人に、僕はたまらず後ろから切りかかっていた。ザンッ、ザンッと両手の剣で一回づつ。これで、相手の実力が分かった。―――勝てない。
 二人は振り返ると、ニヤニヤ笑いのまま僕に剣を突き立てた。キンキンと鳴る瀕死の合図。相手はこちらのLvが低いと知ると、愉快そうにもう一人が槍を振り上げた。
「オリプス」
 壁にもたれかかっていた少女が、搾り出すように呪紋を唱えた。途端、僕のHPは全回復した。
「逃げてください!」
 彼女は必死に叫ぶも、残念ながら僕は二度目の攻撃で瀕死の状態に戻っていた。
「チッ」
 我ながら情けないと思う。
「おいおい、格好つけてんだから、も少しLv上げとけよ」
 剣士が言った。悔しい。
「そのLvで正義の味方気取ってたのか(笑)」
 呪紋使いが言った。非常に悔しい。僕はその少女―――speena(スピーナ)にウィスで作戦を簡潔に告げた。
 二人が油断している隙に、僕は二人にもう一度切りかかり、そして逃げた。
「おい! 待て!」
 二人がこちらにターゲットをあわせた瞬間、彼女はバトルモードから解除された。
「君! ログアウト!」
  二人ははっとしたように振り返ったが遅くかった。消える際、彼女は僕にウィスで「ありがとう」と言ってくれた。
「この・・・」
 自分より低いLvの者にバカにされたのが気に食わなかったようで、健闘空しく、その後僕はあっけなく殺られてしまった。
 画面に赤い文字で「GAME OVEVR」と表示され、次いでザ・ワールドのメイン画面に戻る。
「・・・・・・」
 僕は懲りずにログインした。

Δ(デルタ)サーバ

 カオスゲート前は先ほどとほとんど変わらない状況だった。ひしめき合う人。僕は人々の間をすり抜け、もう一度先ほどの場所に向かった。
 幸い、さっきの奴らはいなかった。その先にも曲がり角があり、そこから更に三ブロックほど進んだ。右手は川。左手の建物には、等間隔に扉がついている。
 建物から建物へと、呪紋布が洗濯物のように掛けられている。呪紋布の間からは黄昏の空が望める。
 黄昏時の裏路地は、何となく寂しい感じがした。
 こちらに用がある人は少ないのだろう。人は片手で数えられるぐらいしかいない。
 しばらく進んでも、それらしき人が見当たらなかった。帰ろうかと思った矢先、角から一人の呪紋使いがこちらに歩いてくるのが見えた。
「先ほどはありがとうございました」
 ぺこりと可愛らしく挨拶をする。背は僕より頭一つ分ほど低い。腰まである栗色の髪の上に、ちょこんととんがり帽子をのせている。お腹の部分が切り抜かれた水着のような服の上に、ふわりとしたコートを肩をだして着ている。足元は、膝まである黒のブーツだ。基本的な服の色は白で、所々に黒と金の装飾を施した、凝ったエディットだった。
「あの・・・君があのメールを?」
 やっと言えた。彼女はコツコツと硬い音を立てて、僕の目の前まで来た。迫る胸。肩。
「女の子をじっと見つめるのはマナー違反ですよ」
 慌てて目をそらすと、彼女はにっこりと微笑んだ。
「残念ながら、そのメールを送ったのは私じゃないんです」
「じゃあ、何でメールのことを?」
「その前に。私はスピーナ。よろしくね」
 裏路地に咲いたひまわり。少し貧弱なイメージだが、ひまわりと表現して差し支えない笑顔だった。
「ぼ、僕は」
「ユキトくん」
 またひまわり笑い。どちらかと言うと好きだが、この笑顔を見る度に、目がそれるわけでもないのにリアルでそらす素振りをしてしまう。この子とパーティを組んだら首が疲れそうだ。
「メンバーアドレス、貰ってくれる?」
 小首をかしげて両手を出す素振りを見せる。僕は快くメンバーアドレスを受けとった。

 スピーナのメンバーアドレスを入手した!


「こちらへどうぞ」
 そう言うと、彼女は踵を返し、路地の奥に足を進めた。そして、突き当りから三番目のドアの前で止まった。
 キィと錆びた金属のこすれる音。鍵はかかっていない。彼女は明かりの点いた室内に僕を招き入れると、そっとドアを閉めた。
「やあ」
 そこには、四〜五人のPCがいた。その中で一際目立つがっしりとした体格の剣士が、にこやかに話し掛けてきた。
「さっきは見事だったよ。スピーナを助けてくれてありがとう」
「あ・・・はい」
 イマイチ状況が掴めず、何とも情けない返事をしてしまった。
「あの・・・彼女があんな目に会ってる事、知ってたんですか?」
「ああ」
「じゃあ、何で!」
 ―――何で見殺しにするような真似をしたのか。
「ここはちょいと訳ありの場所でね。彼らに見つかるわけにはいかなかったんだ」
 ぽりぽりと頭を掻きながら、剣士はスピーナを見た。
「そういうことです」
 ドアの側にいるスピーナは、肩をすくめてそう答えた。
「はぁ・・・で、僕にメールをくれたのはあなたですか?」
「いや、僕ではない」
「・・・・・・」
 ザ・ワールドの世界では、たらい回しにされるのが常らしい。
「メールの送り主は彼だよ」
 剣士は部屋の奥を指した。たらい回しは今回は無いようだ。
 自信に満ちた顔をした剣士、呪紋使い、重斧使い。皆、戦闘では頼もしい兵なのだろう。彼らの後ろに、ゆったりとした椅子に腰掛ける呪紋使いがいた。
 年の瀬は六十後半。その灰色の目は、剣士たちの間を突き抜け、真っ直ぐ僕に注がれている。一目で、その老人がこのグループのリーダーだと理解した。
 僕は剣士たちの間を通り、老人の所まで歩いた。皆、僕より頭二つ分は大きい。
「初めまして。私はターコイズ」
「僕は・・・」
「君の事はミネルト、セリアから聞いている。スピーナの件。皆を代表して礼を言わせてもらうよ」
 老人は軽く頭を下げた。
「君を呼び出したのは、セリアの件だ」
「はい」
「セリアは三週間前。そう、君をこの世界に招いた日、ある者達によって連れ去られた。そして、次の日意識不明の状態で発見された」
 老人は椅子を横にずらし、頬杖をついた。
「原因を知ってるんですか?」
「いや・・・」
「そうですか・・・」
「しかし、この事を我々が調べ始めた途端、奴らは接触を図ってきた」
「奴らって・・・知ってるんですか?」
「奴らがチートキャラを使用している以上、ハッカーの可能性は高い。が、そこまでだ。何の為に行動しているのかはわからん。情報が少なくて申し訳ないが、リアルでの知り合いならば知っておきたいだろうと思ってな」
「いえ。ありがとうございます」
「そうそう、今度ミネルトというPCに会い、協力を依頼するといい。メンバーアドレスは持っているな」
「はい」
 うむと首を縦に一度振ると、老人は入り口に立つ剣士に目で合図をした。
 老人に礼をし、入り口に向かった。
 皆それぞれの方法で、「まあ会おう」のジェスチャーをしている。僕はぺこりと頭を下げ、ドアから出た。
 町は、まだ黄昏時だった。
 橋に近づくにつれて、人の数か増えてきた。橋の下では、川に足を投げ出して談笑している人がたくさんいる。対岸では、重槍使いと剣士がPvPをしている。僕はその人たちが目の前に見える場所に腰を下ろした。
 このザ・ワールドでするべき事がわかった。先ず、ミネルトに会う。
 ミネルトに会ったのは今までで二回。一回目はカオスゲートの前で。二回目はこの『絆の双剣』を渡された時。それ以来、連絡が取れない。
『ターコイズというPCに会い、あなたに協力を仰げと言われました。Δサーバの妖精のあずかり屋の前で待ってます』
 こんなもんだろう。事は早い方がいい。早速メールを送った。

 メールを送ってから三十分が経った。重槍使いと剣士との戦いにも決着がついたようだ。剣士の方が倒れている。重槍使いも相当痛手を負ったのか、何回か光っていた。
 さっきまで横で話しをしていた人達も、腰を上げてどこかへ行ってしまった。
 黄昏の空が、待ちぼうけをくらったある日の事を思い出させた。―――その時は、結局二人とも遠くへ引っ越したらしく、来ることはなかった。
「はぁ・・・待ち人来たらずか」
 足音はたくさん聞こえる。行き交う人は皆、妖精のあずかり屋が目的地だ。カメラをオウンビューに切り替え、川を覗き込むと、自分の姿が映っている。顔は、どこと無く疲れている感じがした。
「ため息をつくと、幸運が逃げるぞ」
 その時、一つの足音が僕の後ろで止まった。

To be continued

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