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第一章・第五話

『Role Play』


 川の中に、もう一つの顔が映った。
 歳は二十代前半。銀とも言える白髪で、目は澄んだ碧色をしている。落ち着いた白の法衣を纏い、肩に高価そうなストールらしきものをかけている。年齢からは想像もできない豊富な知識を持っているのだろう。金色に輝く杖を携えるその姿は、正しく賢者といった感じだ。
「ミネルト・・・」
 僕は川に映るその姿を見て言った。
「振り向きもせず人の名前を呼ぶのは失礼じゃないか?」
 整った顔が、ムッとしたように歪んだ。
「ああ、ごめん。つい・・・」
 ミネルトは僕の横に腰を下ろし、杖を地面に突き刺した。
「メールを見た。ターコイズのご用命だ。君に力を貸そう」
 「納得いかない」が見え見えのセリフだった。
 ミネルトはセリアが誘拐された時、正にその場にいた唯一の張本人だった。ミネルトはミネルトで独自に調査をしているらしく、普段メールを送ってもウンともスンとも言ってこない。
「待て・・・」
 そう言うと、ミネルトは正面を向いたまま動かなくなった。
 メールを読んでいるらしい。
 ぼーっとしているミネルトの顔の目の前で手をひらひらさせたりしていると、突然、
「そうだな・・・フム。ユキト、何を聞きたい?」
 と、我に返った様にこちらに目を向けた。
「あ・・・えと・・・セリアを誘拐したのは、どんな感じのPCだった?」
 突然だったので、返答に詰まった挙句、結局この質問が出てきた。―――この質問は、前にミネルトにメールで送ったが、返って来なかったものの一つだ。
 当然、ミネルトもこの二人組を追ってはいるだろうが、知っていて損は無いはずだ。
 ミネルトはしばらく考え込んだ末、杖を頼りに立ち上がった。
「彼らは、明らかにチートキャラだった。赤黒い鎧を纏い、赤い刀身の剣を持っている。当てはまるかどうかは分からないが、クラス的には剣士だ」
「・・・・・・」
「私に剣を向けてきたのは一人だったが、二人目も恐らく同じような能力を持っているだろう」
 言って、ミネルトは杖をさすった。
「この杖はその時消し去られた物と同じ品だ。この杖には特別な呪紋がかけられていて、ダマスカス――決して損傷しないものなんだ」
 金色に輝くその杖は、先で二叉に分かれている。二叉に分かれた部分は羽の様な装飾が施してあり、羽の根元には緑と赤の宝石がそれぞれ埋め込まれている。柄が長いそれは、杖というより矛の様だった。明らかにレア物。
「それが、奴の一太刀によって文字通り消された」
 ミネルトの歯軋りが聞こえたような気がした。
「もちろん、ザ・ワールドのサポート部門に問い合わせて直してもらったさ」
 だからこうしてあるんだよと、杖を軽く上げて見せた。
「彼らも我々と同じように、ザ・ワールドの法則の中にいることに変わりは無い・・・が、Lvの低い君ではやはり危険だ。悪いことは言わない。この件は私に任せてくれ」
 よほど止めさせたいのか、ミネルトは頭を下げた。
 ―――だが、僕も他の人に任せたきりじゃどうにも納得がいかない。
「・・・いや、僕も彼らを探す」
「頼む」
 ミネルトは、ターコイズに免じてと言ったが、あいにくターコイズに会ったのは今日が初めてだ。ターコイズのことを良く知らない僕にとって、その言葉は無意味というものだ。
「危険なのは分かってるけど、僕は・・・僕も人に任せきりにはできないんだ!」
 決意は固まっている。そう、危険なのは承知の上だ。
「・・・・・・。そうか」
 ミネルトは残念そうに、いや、その言葉は当然かと言うような口調で呟いた。・・・僕の決意が伝わったのだろうか。踵を返し、僕に背を向けた。
「今日はもう遅い」
「そうだね」
「では、失礼する」
 そう言うや否や、ミネルトはすっと、雑踏の中に消えて行った。
「弱い・・か」

 ログアウトすると、月がちょうど窓の中央に来ていた。窓から差し込む月光で、部屋は電気もつけてないのに明るい。
 窓をがらりと開ける。十一月半ばの風は鋭く、刺すようだ。
 窓を閉め、僕はソファに横になった。

 猫も中庭で気持ちよさそうに眠るうららかな昼休み。窓際の席は真冬でも太陽が出ていれば暖かい。
 そんな中、僕は昼食も食べずに教室で寝ていた。
「ねえねえ、東君」
「うん?」
 両目を擦りながら顔を上げると、隣の席の宮田さんが心配そうにこちらを見ていた。
 いかにも日本美人って感じで、黒くて艶のある髪は、見とれてしまうほどだ。身長は本人曰く155cm。背が低いのがコンプレックスだと言っていたが、それほど低く感じないのは姿勢がいいからだろう。琴を習っているらしく、今度の学園祭で日頃の練習の成果を披露してくれるらしい。他の男子と同じように、僕も宮田さんの和服姿を密かに楽しみにしている。
 席が隣になってからと言うものの、授業中に幾度となくお世話になっている。
「この頃寝てばっかりだけど大丈夫?」
 覗き込むようにしてみるその仕草は、子犬を連想させる。大きくて澄んだ瞳に見つめられると、何だか参ってしまう。
「いや〜、この頃に夢中で・・・」
 机に敷いたタオルに顔をうずめ、その場をしのいだ。
「そう・・・。体には気をつけてね」
「大丈夫――くしゅんっ」
「ほんとに大丈夫? ・・・実は私もね、ザ・ワールドしてるんだ」
 他の人に聞かれてやしないか気にしているのか、声を小さくして言った。
「へぇ。知らなかったな。宮田さん、あんまりゲームとかやんなそうだけど」
 タオルに頭をつけたまま顔を向けると、宮田さんは「だよね」と可愛らしく笑っていた。
「けっこうLv高いんだよ、私――」
 と、自慢げに鼻を擦っていると、
「ねぇ咲〜!」
 クラスメイトの柳に声をかけられ、宮田さんは大きなしゃっくりでもしたかのようにびくりとした。
「もっ、もう・・・びっくりしたなぁ。何? 柳ちゃん」
 よほどびっくりしたのか、宮田さんは僕の手を力いっぱい握っていた。
 痛い。
「今日の宿題みせて〜!」
 一方の柳は、口調こそ遅いが、明らかに焦っていた。足が落ち着かなく地面を蹴っている。
「いいけど、自分でやったほうがいいよ。今日のは論述だし・・・」
「わかった。わかった。次は自分でやるからさ」
 宮田さんの隣の席になって、幾度となく聞いた言葉だ。
「さんきゅ〜。・・・ん?」
「ん?」
「わ、私邪魔みたいだから・・・終わったら返すから〜!」
 何かに気がつくと、柳は足にローラーが付いてるのかと疑いたくなるような速度で席に戻っていった。
「・・・?」
「あ・・・ごめんなさいっ」
 顔を真っ赤にして、宮田さんはサッと手を離した。
「うん・・・」
 僕も、バツが悪くなってしまい、タオルに顔をうずめた。

 最後の鐘が鳴り終わる頃には、外はもう暗くなり始めていた。この時間になると、窓側の席はやけに冷え込む。
「柳にちゃんと言っておいてよ」
 先生への挨拶が終わると、僕は頭を掻きながら宮田さんに話し掛けた。
「大丈夫。柳ちゃん、ほんとはすごく友達想いなんだよ」
 宮田さんは”分かっている”風なことを言っているが、昔柳に朋美との事をはやし立てられ、邦彦と喧嘩にまでなったことがある。―――何とも言えない。
 柳は宮田さんとは特別仲がいい。休み時間、毎度の様に横に来ては、僕の机をお尻で揺らしている。
「じゃあ、私は習い事があるから」
 うん。じゃあねと、手を振っていると・・・やはり来た。
「東君、あの子は厳しいですよ」
 商人臭い口調で柳が声をかけてきた。
「今日の出来事は事件と取ってもよろしいのですかな?」
 その目は好奇心満々と言った感じだ。
「柳が急に声かけたりするからだ」
「でも、ずっと握ってたじゃない」
「あれは・・・」
「でしょ?」
「握ってきたのは宮田さんなんだから、僕に聞かないで宮田さんに聞いたらいいじゃん?」
「咲はいいのよ。で、東君はその気あるの?」
 前の席の椅子に座り込み、ドンッと鞄を下に置いた。どうや長期戦に入る模様だ。
「何の気が?」
「モチ、咲のことどう思うのかってことよ」
 話がしっちゃかめっちゃかでわけがわからない。
「で? どうなの?」
 かなりしつこい。
 何とか聞き出そうと必死なのだろう。僕も気がないわけじゃないが、男女関係に今は興味がない。
 そんなこと、柳も分かっているはずなのに・・・。
「で? でっ?」
 薄暗い教室で話し込む柳と僕を見て、他のクラスメイトがひそひそと話しをしている。更にややこしくなりそうなので、仕方なく僕は最終手段をとった。
「呆れた・・・柳、朋美と邦彦との事、忘れたわけじゃないよな?」
「う・・・」
「柳の一言で、危うく僕達は十三年間培ってきた友情を駄目にするところだったんだぞ」
「うぅ・・・」
「宮田さんのこと心配するんなら、変なこと言わない方がいいよ」
「うぅ・・・やっと楽しいこと見つけたと思ったのに」
 ”楽しいこと”と言う形容が癇に障り、僕は荒々しく席を立った。
「あっ・・・その・・・ごめん・・・」
 柳は顔を背けてそう言うと、今にも泣きそうな顔になった。
 この話は、柳に対して絶大な威力を発揮する。しばらくはこれで大人しいが、今度はこっちのフォローもしなくてはならない。正に諸刃の剣だった。
「ごめん。言い過ぎた。もうそんなに気にしてないから大丈夫だよ」
「本当?」
「うん」
「ほんとのほんと?」
「うん」
 僕らは昇降口に着くまで、この問答を繰り返した。

 家に帰ると、母さん手製のパウンドケーキが待っていた。くるみ等のナッツ類や、干したクランベリーなどが入っていて、かなり美味しい。僕はひときれ持って二階に上がった。
「さて」
 ケーキを口に放り込み、紅茶で流し込むと、早速パソコンを立ち上げた。
「今日までにLv25にはならないとな」

Δ(デルタ)サーバ

 ザンッと両手の剣で二度。HPの限界まで敵を叩き、回復した後にもう一度。Hit and awayの戦法にもだいぶ慣れてきた。なるべく囲まれないように、地形をも利用する。
 何度目かの攻撃の後、敵の攻撃が届かない建物に登り、SPの回復を待つ――自由度の高いザ・ワールドは、こんなこともできる。
「弱い・・・か」
 ミネルトに言われたその言葉が、どうしても気になった。ミネルトはもう、二人組の正体に見当がついているのだろうか―――。
 そんな事を考えていると、いつの間にかSPが回復していた。
「よし!」
 敵が後ろを向いたのを見計らって、建物から飛び降りた。そのまま剣を切りつけ、着地と同時に前転して攻撃を回避、そしてまた切りつける。
「夢幻操武!」
 ズーンと、自分の三倍ほどもあるガーディアンが地面に倒れた。――周りには、まだ二体のモンスターがいる。
「雷武!」
 ラミアファイターに雷武を放つが、あまりいい効果が得られなかった。もう一方のミミックが、後ろから大きな口を開け、HPとSPを削っている。HPが三分の一を切った所で、僕はたまらず建物の上に這い上がった。上っている間も、敵はしつこく攻撃をしてきていて、上り終わる頃には瀕死になっていた。
「危なかった」
 Lvが高めのエリアを選んだ為、回復系のアイテムの消費が激しい。
 下の二体を見て、ため息が漏れた。
「でも、やるしかない!」
 HP、SPが全快になったので、僕はまた建物から飛び降りた。

「もうっ! 何で繋がんないのよ!」
 六度目のリダイヤルを諦め、私は携帯を布団に投げつけた。
 もうかれこれ一週間はこんな感じだ。
「何で・・・」
 涙目になりながら、携帯を充電器の上に置くと、そのまま布団の上にうつ伏せになった。
「・・・・・・」
 枕にぎゅっと顔を押し付けると、いくらか気が紛れた気がしたが、それも長くは続かなかった。
 コンコンコンとドアを叩く音がし、次いでママが入ってきた。
「沙耶ちゃん」
 このところの私の態度が心配らしく、こうして毎日の様に夜になると顔を出してくる。はっきり言って、余計なお世話だ。―――これは、私の問題。
「何でもない。大丈夫だから」
 ママは顔すら向けない私に向かって、はぁとため息をつき、ドアを閉めた。
「どうにか連絡取れないものかな・・・」
 もじもじするのも性に合わず、中学時代の友人関係をあたってみることにした。
 私の通っている最馬女子大学付属高校は、世間に名の知れる有名校だ。二者面談の際、先生が「最馬も十分行けそうですね」と冗談めかして言ったのがきっかけだった。もちろん、先生はたとえ話で言ったのであって、まさか家族ごと引っ越して最馬に通うことになるとは思わなかっただろう。
 私は住み慣れた福岡を離れる気はさらさらなかったが、いざ受験の時期に差し掛かると、何の因果か家族共々東京へ引っ越すことが決まった。理由はパパの仕事。本社から直々に呼び出しがあったそうだ。おかげさまで余裕のある暮らしに万万歳。彼氏とも遠距離恋愛を強いられる羽目となった。
「何か、嫌な予感・・・」
 中学時代一番仲の良かった子は、博多女子という女子高に通っている。恐らく、私の彼氏とは連絡がつかないだろう。一番手っ取り早いのは同じ学校に通う二村という奴だ。
 できれば二人の仲を知られたくなかったので、今日まで連絡を控えていた。
 たら〜らら〜らら〜
 その時、充電器に刺さった携帯から、以前は聞き慣れていた音が鳴った。青く光る着信灯。私は引ったくるようにして充電器から取り上げた。
「もしもし!」
「あ・・・起きてた?」
 彼の声は、妙によそよそしさを感じさせる声だった。。
「さっきかけたばっかりじゃない! ・・・何で取ってくれないのよ」
「ごめん。何度も取ろうとは思ったんだけど・・・言わなきゃいけないことがあって」
 電話の向こうから、かすかにがやがやとした音が聞こえる。家じゃないのかも知れない。 ―――その喧騒をも押しのけて、沈黙が走った。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
 どれぐらいそうしていただろうか。先に沈黙を破ったのは彼の方だった。彼は「長距離だから電話代大丈夫かな、ハハハ」などど、カラカラに乾いた笑い声を出した。そして、
「ごめん。話って言うのはさ」
 と切り出した。
 その先にどんな言葉が待っているのか、大体予想ができるあたり、私は案外恋愛についてはバカじゃないのかも知れない。
「・・・・・・・・・」
 彼はこの電話をかけた理由を胸が詰まる――たぶん、本当に――思いで話した。
 話はこうだ。「沙耶がいなくなって、ザ・ワールドでも逢えなくなって、寂しかったから・・・」
「だからって・・・」
「ごめん!」
 予想通りのことで、心の準備ができていたのかも知れない。電話の向こうで頭を下げている彼の姿が浮かび、何となく、私はふき出してしまった。
「くくくっ。普段は頭なんか絶対下げないくせに」
「え?」
 実際、頭を下げていたのだろう。「何で分かったの?」なんて聞くと、彼はごく自然に笑い声を上げた。
「あんたの言い分はわかった。私はそれを許す気もないし、あんたは私と続ける気なんてない」
 電話からはがやがやした音しか聞こえなかったが、私は続けた。
「だから! ・・・だから、今あんたの横にいる女の子、大事にしなさいよね!」
「―――!」
 piという電子音で、通話は最後となった。この先、私はもちろん、彼もかけてくることはないだろう。
「私、カッコイイこと言ったよね」
 鏡に映る顔は何だかとても悲しそうに笑っている。目の辺りからこみ上げてくるものを無理やり押さえ、私はベッドに戻った。

Δ(デルタ)サーバ

「ぜぃぜぃ・・・」
 ダンジョンを攻略し終えた僕は、フィールドに戻ってきて一息ついた。ダンジョンの魔方陣はみな空だ。今日でようやくLv.28。学校から帰ってきて即ログオン。まるでチャレンジャーの様に、無茶なLvのフィールドに挑んでいる。
 今回のフィールドの属性は火。あちらこちらから蒸気がふき出し、地面はまるで溶岩のようだ。雨が降っているが、”焼け石に水”と言ったところだろう。
 今日も一人で来たが、マックスウェルが何体も出てきて、非常に厄介だった。闇には雷、火には水といった属性の攻撃にも慣れてきた。実際、エレメンタルヒットが実装されてからの方が戦いやすくなった。
「ぜぃぜぃ・・・くしゅんっ」
 ここのところ無茶をしているせいか、調子がおかしい。マイクが咳きやくしゃみなどの音まで拾ってしまうので、まるでザ・ワールドのユキトも風邪にかかっているようだ。
「ズズ・・・とりあえず出よう」
 僕は鼻を一回かみ、ゲートアウトした。
 高山都市ドゥナ・ロリヤックは今日も気持ちのよい青空だった。ルートタウンに戻った僕は、今日の成果を記録すべく、記録屋に足を運んだ。
「あっ」
 記録屋の前で、見知った顔があった。とんがり帽子にきわどい服装。スピーナだ。
「お久しぶりです」
 頭を下げる代わりに、スピーナは笑顔で首をかしげた。僕は、その愛らしい仕草に思わず顔を反らしてしまった。
「ぜぇぜぇ・・・出歩いても平気なの?」
 息が重く、何とも聞き取りにくい声になってしまった。
「箱入り娘みたいないわれようですね」
 スピーナは、指を口に当ててくすくすと笑った。
「あの・・・」
「ん?」
「風邪・・・ですか?」
 僕を下から覗くスピーナの顔が、一瞬曇った。
「いや。なんで?」
 努めて平静に言ったつもりだったが、
「うそです。ユキトさん無理してます」
 と言い切られてしまった。
「なんか、知ってたって感じだね」
 と言うと、スピーナはぺロっと舌を出して「どうでしょう」と言った。
「じゃあ、今日はもうお終いにするよ」
「はい。おやすみなさい」
「じゃあ」

 ログアウトすると、深夜の一時を回っていた。
 グズる鼻をティッシュで押さえ、僕はソファを倒してベッドにした。
「くしゅんっ・・・あー、結構きついかも」
 ベッドに滑り込むと、ひんやりとした枕がちょうど凍り枕のようで、心地よかった。

To be continued

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