第一章・第八話
『孤独と言う名の気温』
朝のまどろみは未だ終わらない。
小さい頃、金縛りにあった。
それと感覚が似ている。意識がはっきりしていないからか、手足の感覚が薄いことにも、さほど恐怖を感じない。
こつり、と硬い靴の音を聞いた。
「 」
うん。そう。だから何?
ただ寒い――と、それだけが感じられた。
「どんな気分なんだろ?」
「こうなった者にしかわからないだろうよ」
「震えてるぜ」
「可哀想だがどうにもできんな。我々の計画が終わるまでの辛抱だ。尤も、元に戻れる保証など何も無いがな」
「あの人はこれを彼女から引き出せば、後はもう用済みだと言ってたな」
青年は緑色のファイルを受け取り、もの悲しい目を、奥でうずくまる少女に向けた。
「プロテクトも何も無い。造作も無い作業だったが・・・何ヶ月もあの状態だ」
牢の片隅では、光を失った碧眼が空虚を見つめている。
「何もここまで・・・」
―――しなくても、と言いかけた所で、赤黒い鎧を着た剣士は、ドアに手をかけた。
「これが一番判り易い宣戦布告だ。ターコイズなら、既にあの人の本名にも感づいているだろうよ」
「・・・・・・」
体が震える。
さっきから震えているのは―――そう、孤独という恐怖を、何故か寒いと感じているからだ。
その考え方ならなるほど。納得できる。
だって、私は自分以外”誰も”知らないのだ。体感温度に例えるならば、確実に私の周囲は摂氏0℃。こんな薄布一枚じゃ寒さをしのげる訳が無い。はっきりとしない意識の中、ギィと重苦しい音が聞こえ、誰かがここから出て行くのを感じた。
「独りは嫌・・・独りは嫌・・・独りは嫌・・・独りは嫌・・・独りは嫌・・・独りは嫌・・・独りは嫌・・・独りは嫌・・・独りは嫌・・・独りは嫌・・・」
ぼそぼそと蝋燭の火も揺れない様なか細さで呟いた。
「―――意識が戻ったのか?!」
青年は驚きと喜びの入り混じった声を上げた。マイルとCREWが連れてきたこの少女は、レトの”魔法”により、意識ごと根こそぎ人物リストを抜き取られ、結果、一種の精神障害に陥った。少女はこの数ヶ月の間、眉さえ動かすことは無かった。その様子がプレイヤーが席を立ったときのPCに似ているからか、今まで別段何の感傷も受けなかった。
しかし―――
本当に・・・
「本当に人の意識が停滞しているんだ」
本来、小説などでしかお目にかかれない状況に、青年の胸は高鳴った。
レトには協力した。マイルやCREWが装備している、全てのモノを存在確率から破壊する武器――青年ほどの腕の持ち主でさえ、この武器を完成させるのに1ヶ月もかかった代物だ。この作戦における自分の仕事は、”最強の”武器製造だ。それ以上も以下もレトは望んでもいない。元々この作戦には、「いつ辞めてもいい」という、ゲリラ活動をするに当たっては有り得ないルールがあった。それ故、日々の生活もある青年は参加した。
鉄格子を開き、少女の側に寄る。少女はそれしか知らない様に「一人は嫌」と呟いている。怯える目、小刻みに震えるその姿は、とてもゲームのそれとは思えない。薄布一枚というエディットの人形は、ここにきてようやく生を得た――その今までとのギャップが、『一人の人間を破壊した』という、薄れていた事実を浮き彫りにさせた。
「寒いのか?」
答えないと知っていながら、少女の横に腰を下ろす。
ゲームの世界でそれがどれだけの意味を持つのか分からないが、青年は自分のマントの中に少女を引き入れた。暖かさがあるわけでもない。限りなくリアルながら、五感の有無が未だゲームのそれと現実を分けている。
「俺はマーク。その・・・大丈夫?」
「・・・・・・」
呟きが止んだことを効果ありと感じ取ったのか、マークはセリアを抱き込んだ。
マークの抱擁を人形の様に受けながら、セリアは再び「独りは嫌」と呟いた。
恐らくレトははもうセリアには用が無いはずだ。リストを抜き出した今、戦略的に考えてももうお払い箱だろう。それに、あいつらの当面の目的は『セリア奪還』だ。セリアが戻れば、奴らの活動は一時的にだが止まる可能性もある。ここで俺が連れて行っても計画に支障は無いだろう。
そして、
「これがあれば・・・」
左手に持った緑色のファイルを見て、マークはそう言った。
「マークがセリアを連れ出したみたいよ」
蒼いローブに身を包んだ呪紋使いは、それまで監禁室に留めていた意識を自身に戻し、机の上で足を組んでいる剣士にそう告げた。
「そうか・・・」
言って、皮肉な笑みを口元に浮かべる。
「レト、セリアを連れ戻す?」
「いや、待て。恐らくセリアをターコイズ達に引渡しに行くんだろう。面白いからそのまま行かせてやれ」
「でも・・・」
不満げな呪紋使いに、レトは又も陰湿な笑みを浮かべ、
「協力はしてもらったんだ。今度は俺があいつの望みでも叶えてやるさ」
レトは目を瞑り、マークの為に用意しておいたプログラムを起動させた。
「ここを抜ければとりあえずは安全だ」
監禁室のあるダンジョンを抜け、外に出た。闇夜の草原。ここはそういう設定だ。夜空には星が煌めき、草原には虫の音と蛍の光が敷かれている。
草原をしばらく進み、枯れかけた大樹にセリアを預ける。空を仰ぐと、もう東京では決して拝めない満天の星空があり、月も眩しいほどに輝いている。樹の元には満々と水を湛える湖がある。が、何故か月の光は浮かんでいない。
なるほど。おかしいと思ったらやはり、レトが何かした様だ。星と虫が輝き、一種妖艶な明るさに満ちたこのエリアは、矛盾だらけになっている。影の無い足元、横に湖があるというのに枯れかけた樹、湖の辺にだけ積もった雪・・・。
「とにかくこれを」
緑のファイルを取り出し、セリアの胸元に掲げる。目を閉じてインストールプログラムを起動すると、ファイルは碧色に発光しだした。・・・後はザ・ワールド内に介在する得体の知れないプログラムが勝手にやってくれる。
しばらくすると、ファイルは一層強く光りだし、 右腕ごとずぶずぶと沈み込んでいった。
手応えを掴んだのか、マークは右腕を戻すと、その場に座り込んだ。
「お姫さんを助けるか・・・。プログラマー名利に尽きるってもんだな」
妙に体がだるい。熱でもあるのか、あたまもくらくらする。セリアの安らかな寝顔を見ながら、マークはコントローラーを握ったまま眠りに落ちた。
「あれ?」
どれくらいの間眠っていたのだろう。
周りは一変して春の景色になっている。たんぽぽの種が飛び交い、黄色の花々が向こうの丘まで――いや、エリア全体に咲き乱れている。日差しは暖かく、暑いぐらいだ。
「この格好じゃ暑いわけだ」
シャツの上にずっしりとした甲冑を纏っている。長時間日に当てられていたのか、甲冑は日の光を吸収し、熱した鉄鍋の様だ。頭を焦がすような熱さに耐え切れず、兜を脱いだ。
その一連の動作に違和感を覚えたが、左手がセリアの髪に当たり、気持ちを切り替えた。そう、先ずはセリアだ。
「セリア?」
セリアは起きる様子がない。しかし、微かに聞こえてくる寝息が、今までの人形のような彼女ではないことを証明している。
「成功したみたいだな・・・」
美しい四肢は透き通ってるんじゃないかと思うぐらい白い。金の髪に金の眉。顔はミシャの絵画の様な美しさだ。少し顔をずらせば、何かが見えてしまいそうな服装。マークは赤面した顔をぶんぶんと横に振った。
それにしても・・・暑い。クーラーのかけすぎか?部屋の温度を上げた記憶はない。マークはリモコンを探そうとしたが、見つからなかった。
いや、正確に言えば、リモコンのあるセカイなんてどうやったら行けるのかも思い出せない。
「―――!? ちょっと待て! ゲームなんだ。なんで――」
無いはずの五感と、ある筈の画面を見る自分。
マークは起き上がり、自身の剣で指に傷をつけた。
「いてぇ・・・。何てこった・・・俺も感染しちまったのか・・・」
血は指を伝い、セリアの首筋に落ちた。
―――それで、全てを理解した。
「やられた・・・。レトのやつ!」
マークが悪態をつくのとほぼ同時に、微かなうめき声がセリアの口から漏れた。
「・・・あ・・う・・・寒い・・・」
「!?――おい!」
セリアの碧眼がゆっくりと開かれてゆく。
「まぶしい・・・」
咲き乱れる黄色の花々と、安堵の色を浮かべた、妙に人懐っこい顔の剣士。
彼女が起きて最初に見た光景は、今までの光景と違って、そんなにも悪いものではなかった。
「大丈夫か?」
私のことを言っているのだろう。だけど、大丈夫な訳がない。心に空いた空白は、そう簡単に埋められそうにもない。
「あなたは?」
「え? ああ。俺はマーク。もちろんPC名だけどな」
「じゃあ・・・私はセリア。どうもいまいち状況がつかめないんだけど・・・」
目の前が真っ白になりそうな感覚を振りほどくように、頭を左右に振る。それで何とか目の前の白は消えてくれた。
「だろうね。説明すると長くなる。君の身の上に起きた出来事は、歩きながらでも話すよ」
顔を真っ赤にして、下を向いて話すマーク。セリアは自分の格好を見て納得した。なるほど、そりゃ男の子ならそうなるか。
「そうね」
マークと言う騎士の自己紹介に、セリアは心の隙間がほんの少しだけ埋まるのを感じた。
「あのさ」
「何?」
「違和感は感じない?」
「違和感?」
「そう・・・これはゲームなんだ。だから・・・」
セリアははっきりとしないマークの喋りに苛立ちを覚えていた。
「違和感? あるに決まってるじゃない! 気がついてみればよく分からないエリアにいるし、私があなた達に何をされ、何を失ったと思ってるのっ!?」
「え?・・・ああ、やっぱり知ってたんだ」
怒鳴ったつもりだったが、いまいち迫力が無かったのか、マークは嬉しそうにこちらを見た。そして、 なんだ。元気じゃないか。と、安心したように呟いた。
「ええ知ってるわ。自分の事だけならね」
その言葉を聞いて、マークは口元を歪めた。
それから少しして、私たちは湖の源泉らしき所を見つけ喉を潤した。その水が特別だったのか、全身に活力が漲り、私の意識はほとんど完全なものになった。
ある一部を除いて。
その後、マークは北へ三キロほど歩く間、セリアの記憶からリストを抜き取った事、自分が監禁室から連れ出し、リストを再びインストールした事を説明した。
「感謝する・・・とは思わないわよ」
「分かってる。俺のやっているのはただの偽善なんだ」
マークはつまらなそうに遠く微かに見える風車を見た。
「取りあえずあそこに行こう」
セリアは何も言わずに従い、マークはなるべく後ろを見ないように歩いた。
「ちょっと刺激的過ぎるな」
現実世界の五感がそのままある今、肉体、精神は共にこの世界において本物と同格である。薄布一枚の後ろの女性は、マークを赤面させるに十分な魅力を持っていた。
「ねぇ」
「な、何だよっ?」
顔を真っ赤にしながら、後ろを振り向くまいと返事をするマークを見て、セリアは堪えていた笑いを声に出した。
「いいよ、こっち見ても。私はぜんぜん気になんないから!」
それはどんな気分だろう。
例えるなら、遠く遠くに、微かに残る香りのような感覚だった。
覚えというものではない、何か。
懐かしいと感じる事もまた懐かしいと感じる―――そんな感覚。
私の友人にこんな奴がいたのだろうか。
「そっちが気になんなくてもこっちが参る!」
ずかずかと早足気味になるマーク。暖かい陽気のせいか、今はそれほど寒さも感じられない。セリアはそんなマークをからかうように、裾を少しだけ上げマークを追いかけた。
To be continued