ポトフ営業日報

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プロローグ:



「何だぁ。楓もなのか?!」
 ここ、全日本職業安定局-練馬支部の一室に、人一倍大きな声が響いた。
 周りには思いつめた顔の若者が何人も立っている。
 その声に、眼鏡をかけた青年が肩をすくめて答えた。
 縁なし眼鏡の良く似合う、端正な顔つきの青年だ。
「そんなに落ち込むなって!」
「クラスの奴等はもうとっくに就職口が見つかってるのに・・・。こんなことってあるのかよ」
「一つに縛られないって思えば気が楽だぜ。職が無いという名の自由!」
「それじゃただのプー太郎だろ。人間安定した生活を送らなきゃ駄目なんだ。啓一みたいに俺は気楽じゃないんだよ・・・」
 お先真っ暗とでも言ったような顔つきで、楓は言った。
「それより・・・眞也の奴遅いな。俺らなんか『該当なし』って出て、「後日また連絡しますので」って即刻帰されたのに」
「友達の話だと、こうゆう場合、再就職適正検査受けて結果が出るまで結構時間かかるらしいな。それこそ1年とか・・・」
「その間は勉強以外すること無いな。大学にももう用はないし」
 嬉しそうに話す啓一。
「バイトでも探さないと」
「だな」
 ブルッ!
 後ろで足踏みをしている猛者どもの殺気を感じたのか、二人は同時に身震いした。
「二階のホールで待ってるってメール入れて先行っとこうぜ」
「そうだな」
 そう言って二人はチャックを閉め、トイレを後にした。

「ふ〜」
 湯気を立てているコップから口を離すと、啓一は幸せそうな声を漏らした。
「飲みすぎだぞ啓一。ブラックの飲みすぎは胃が荒れる」
 啓一の座っている横には空の紙コップがいくつも重なっている。ものの数分でこの有様だ。
「眞也が遅いから悪いんだぜ」
「ちゃんと後で金返せよ。・・・それより、眞也は就職決まったのかな?」
 楓が吹き抜けになっている三階を見上げながら言った。
「まさか! あの、史上最悪のヒキを持つ男、眞也に限ってそれは無いな」
 コップに残ったコーヒーを飲み干す。
「確かに」
 くくく、と笑いながら、啓一はコーヒーの紙コップを長椅子の横のゴミ箱に投げ入れた。
「うわっ! 何すんだよ」
 その時、丁度啓一達を見つけ駆け寄ってきた眞也に、コーヒーの滴がかかった。
 どうやら、コップの中にコーヒーの滴が残っていたようだ。
 史上最悪のヒキを持つ男、眞也は今日もヒキが悪いようだった。
「悪い悪い。で、どうだったんだ?」
「全くもう、気をつけてよ」
「それよりお前、どうだったんだ?」
 最後の頼みの綱、いや、この二人にとっては砦の眞也に、二人の視線が集まった。
「実は・・・就職ここに決まったんだ」 
 床に向かって指を指す眞也。
「「ここ・・・のごみ収集かっ?!」」
 啓一と楓の声がハモり、眞也がガタンッとゴミ箱を引っ掛けながら豪快にコケた。
 彼が指している所には啓一が飲んだコーヒーの殻がいくつも置いてある。
「そんなわけないだろ〜! ・・・これじゃなくて、ここの一階のレストランだよ」
「「おお〜!」」
 パチパチパチッ!
 二人の感嘆の声に照れ笑いする眞也。
「調理師免許取っといてよかったな?」
「うん」
「夢のある職業じゃないか!」
「うん」
 二人の質問に対して「うん」と嬉しそうに答える眞也。
 職業安定局のレストランは、日本でも有数の名店であり、グルメならば一度は行きたがる、眞也の様に料理の道を進む者にとっては憧れの就職先の一つであった。
「幸先はいいよな! 何か奢ってくれ」
「うん・・・あっ!」
 こうやって乗せられて「うん」と答えてしまうのも、いつもの事だった。
「さて、今日は何を食べようか」
「ち、近くのファミレス行こうよ」
「今日はせっかくここに居るんだぜ。下でおいしい物でも食べようや」
「だな。未来の就職先を見るのも悪くないだろう?」
「そ、そんな〜」
 この後、彼の財布には塵一つ残る事は無いだろう。
 眞也が残りの手続きを終えた後、三人は小突き合いながら、職安お抱えのレストラン「ル・ポルテ」に向かった。

 三人がここに来る少し前・・・。
 薄暗い部屋の中で、二つの影が息を殺していた。
 二人はそれぞれ目の前の大型コンピュータの蓋をこじ開け、この館のデータベースに直接ハッキングを仕掛けていた。
「Red! D-4ルート、アクセスコード取得」
 スーパーコンピュータが置かれている部屋なので、空調はされている。この手の任務には珍しく快適な部屋なのだが、黄色い男の方は額に汗を浮かべてひいふう言っている。
「Ok , yellow! そのままD-4ルートにて続けてくれ」
「Ok!」
 黄色の男は親指の腹で鼻の頭を撫でながら答えた。  
 二人はプロフェッショナル特有の自信に満ちた顔をしている。
 後ろには、どうやら人影らしきものが数名分転がっている。
「軽いもんだ。聞いていたほどではなかったな」
 二人の指は愛用のパソコンの上で華麗なステップを踏んでいるかの様だ・・・それも、ブレイクダンス級の激しいステップを。
「D-6ルート到着。よし、この館で就職適性検査を受ける予定の者のリストが出た」
「俺もだ。yellow、そこに例のもの仕込んどけよ」
「Ok!」
 二人はディスクをパソコンに差し込み、エンターキーを押した。 
 
 ビーーー、ビーーー!!
 
 次の瞬間、二人のいる部屋に警報音が鳴り響いた。部屋の四隅に取り付けられた赤い警報ランプが、お約束の如くクルクル回っている。
 だが、地上階では何事も無く人々が行き来している。
 どうやら警報音は地上階の方には響いていないようだ。
「Fuck! やっちまった!!」
 赤い男が大声を上げ、壁を叩き破った。・・・経費削減の為か、壁は薄かった様だ。
「ど、どうしたRed?」
「わかんねぇ! 何故だ!?」
「と、とにかく、は、早く消えないとマズい!」
「分かってる!」
「げっ! しかも何人かのデータが消えてる!スマン。善良な市民達よ。君達には・・・職が無い!」
 不幸な犠牲者に人知れず懺悔をしながらスパコンに繋いだケーブルを素早く抜きとり、持ってきた道具類を入れたバックパックを背負った。黄色い男の方はその体型に似合わない素早い動きで用意を終えて赤い男を待っている。

「B5、B6で警戒中の警備兵は直ちにB7データ管理ルームへ急行せよ!!」
 適練の地下に鳴り響く放送に、オレンジの服を着た隊員達が動き出す。
 隊員達は何故か例外なく濃い顔をしている。
 一糸乱れぬ隊列を組んで、廊下を駆け抜けていく。
「あ〜あ。これじゃ、報酬はパアかなぁ・・・」
 黄色い男が情けない声を上げる。警報音に焦っている様子は微塵も感じられない。赤い男と共に部屋を出て行くときも、ひっきりなしに愚痴ばかり言っていた。赤い男は、黄色い男が愚痴を言う度に「スマン」とだけ答えていた。

 キャリー・ピークはいらだたしい表情で目の前に映るディスプレイを眺めていた。
 手にはいつものエスプレッソコーヒー。
「全く・・・。諜報部は何をしているのよ」
 ディスプレイに映っているのは二人組みの男。一人は隠密行動を生業とするには相応しくない体型だ。
 館内の至る所に設置されたカメラが、日夜不法侵入者を厳しく監視している。しかし、彼等が見つかったのは警報が鳴ってからだった。
「こいつらどこの組織のものかしら?・・・参謀!」
 人差し指で唇を触りながら考え込む。
「はい」
 お河童頭の眼鏡男が彼女の左後ろに来て現状を報告した。
「彼等の組織名はただ今調査しております。D-4,D-6ルートに進入した形跡がありましたが、プログラムに異常は見当たりません」
「そう。・・・取りあえず、生け捕りね」
 ディスプレイに映る二人組みを見ながら人差し指で唇を触る。
「了解」  
 職業安定局局長補佐の近藤は、すぐに警備隊の隊長に「生け捕りにしろ」と伝えた。
「それにしても・・・理解に苦しむ格好だわ」
 警備隊の包囲網を次々と攻略する彼等の姿を見て、キャリー・ピークは多少の頭痛を覚えずにはいられなかった。

 

To be continued

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