Pot au feu 営業日報!

ORDER No. 1

「職は天下の回り物」


 バサッ。
 楓はテーブルの上に求人誌を投げ出し、ソファーにもたれ掛かった。
「駄目だ。やっぱこのご時世学生以外の求人は無いや」
「こっちもだ・・・」
 向かいには啓一がソファーにもたれ掛かってテレビを見ている。
 職業安定局が出来てからというものの、日本における失業者は実質0となったのだが、その雇用政策の効率があまりに良い為、バイトの需要が極端に低くなってしまった。何故なら、本物のプー太郎や啓一たちのような異例を除いて、社会人が就職していないなどというのは考えられなかったからだ。プーが流行っていた時代も既に終焉を迎えている。
 どの求人誌の欄にも『学生限定』と書かれてあり、社会人に対するバイトの求人状況は正に神頼みである。
 職業安定局が無かった時代はこれとは全く反対の事が起こっていたというが・・・。
「この頃は面白いもんやってねえな〜」
 どこぞの親父の様にチャンネルをくるくる変えてみたり、消してみたり、点けてみたり、実に暇そうだ。
「ただ今〜!」
「「お〜、お帰り〜!」」
 二人が諦め始めた頃、眞也はあっけらかんと帰ってきた。

「お二人さん、今日も忙しそうだね」
 一ヶ月前、適練にて就職先が決まった眞也がアイスコーヒーのパックとコップを持ってリビングに現れた。
 もちろん、三人が愛して止まないピザポテトも持っている。
「お前に言われたかね〜」
 初出勤から早二週間。今日も眞也はご機嫌だった。
 そんな眞也を、啓一はシラ〜っとした目で見る。
「今日は珍しく帰りが早いな」
「うん。今日は店内の改装作業の為に早く終わったんだ。今日から二日間ル・ポルテも休業だし」
 就職して初めての連続休日に満足した顔をしながら、眞也はアイスコーヒーを飲み干した。
「何でまた? あ、サンキュ」
 眞也が二人にアイスコーヒーを注ぐ。
「儲かってるからじゃないの? 店ってのは雰囲気が大切だからね」
 眞也はニコニコと笑みが絶えない。
 それとは対照的に、二人の顔は冴えない。
「何で眞也が就職できて俺が出来ないんだよ」
「パターン的に絶対間違ってる」
 楓はカレンダーに目を向け、ピザポテトをほお張った。
「やっぱ後一年はダメみたいだしな」
「でも、この情報化社会の中、どこにでも俺らの情報はあるんじゃないか? 成績やDNA分析結果まで消滅してるなんておかしくないか?」
「それがさ、就職適性検査に必要な情報は、一般に出回っているのとはちょっと違うらしくて」
「いろいろあるんだって」
「とりあえず・・・バイト探さないとな」
「ああ・・・」
「ハハ・・・」
 二人のどんよりとしたコールタールの様な粘り気のある気に押され、眞也は引きつった笑みを浮かべるしかなかった。

 次の日、三人はバイト探しのため表参道へと向かった。家からも近い、第一希望の場所だ。
「やっぱここ辺りはきちいかな・・・」
「かな・・・」
「そうだね・・・」
 求人誌に載っていない小さな店まで探したが、これと言って目ぼしいバイトは見つからなかった。
「くそう、あの店のババア、俺達が社会人だって知って・・・なんだあの哀れむような目は!!」
「まあ、しょうがないさ。今はそうゆう世の中だ」
「ぜってー、早々とリストラされたと思ってやがんぜ!」
「ねぇ、あそこはどう?」
 啓一の怒りを楓が抑える中、史上最強の引きを持つ男、眞也は一軒のレストランを指差した。
「お前が選んだ所なんてろくな所じゃねぇ!」
「あのねぇ、この中で一番最初に、それもル・ポルテに就職したのは誰かな?」
 得意げに啓一を見る。
「う・・・」
 こぶしを握り締める啓一を片手で押さえながら、楓が前に出た。
「おい、これ・・・」
「?」
「従業員募集中って書いてあるぞ」
「「!?」」
 よほど驚いたのか、嬉しかったのか、啓一は顔に手を当ててクククと笑った。
「しゃあっ! バイトげぇーっと!」
「いや、まだ面接受けてもいないし。それにフランス料理専門みたいだぞ」
 右手を突き上げる啓一に対し、楓は冷静な口調で言った。
「とりあえず行ってみようぜ。でかした、眞也!」
 啓一は、笑いながら眞也の肩をバンバンと叩いた。
「やぁぱね〜。この頃冴えてるでしょ!」
「おう」
 ノー天気な二人は、肩を組み合いながらレストランに入って行った。
「全くもう・・・早とちりなんだから」
 チラシをちらりと見て、楓も二人の後を追った。
 啓一たちは気付かなかったが、そのチラシはバイトの内容については一切触れていなかった。

 楓が中に入ると、啓一と眞也は広々とした、屋敷の様な玄関口でぼーっと立っていた。ロビーの左右には扇状の階段がある。手すりは重厚な楡の木でできており、床は一面大理石張りになっている。階段には、上等な絨毯が敷いてあった。
「いらっしゃませ!」 
 三人が揃った所で、玄関フロアに凛とした声が響いた。
「三名様でございますか?」
 ドアの右に位置する受付で、店員が頭を下げていた。制服は深い黒のズボンに、パリッとした真っ白なシャツ。シャツの上にはズボンと同じく、深い黒のベストを着ている。
「あ、はい・・・」
「あ、はいって啓一、どうするつもりだよ」
 何故か照れ笑いして答える啓一を、楓は肘でつついた。
「い、いや、一回入ってからにしようかなって」
「まあ、それもそうだな」
 ふむと思案し、楓も啓一の案に賛成した。
「こちらへどうぞ」
 階段から下りてきた店員に案内され、扇状の大きな階段を上り、開かれた大きな扉をくぐる。
「「「うわ・・・」」」
 二階は思いの他広かった。
 白と蒼を基調とした店内の中央には、上から下まで続いている円筒形の大きな水槽があり、どの席からでも美しい魚の泳ぎを見ることができるようになっている。水槽からの光がゆらゆらと壁を照らしていて、暗めの照明と相まって、より一層深海の雰囲気を醸し出していた。
 その様子に驚いた三人は、口をぽかんと開けながらこの深海に魅入っていた。さながら床は珊瑚の海底、観葉植物は海底に生える海底植物だ。
「三名様、どうぞこちらに」
 ぽかんとしている三人に、ショートヘアの小柄なウェイトレスが声をかけた。服装は先程の受付係と変わらない。
「あ、はい」
 にこりと微笑むと、ウェイトレスは入って左奥の席を勧めてくれた。
「それにしてもすごい内装ですね」
 席に着いても尚、三人は店内の様子に目を奪われていた。
「はい。当店はオーナーの意向でこの様な内装になっております」
 高くも無く、低くも無い姿勢で、ウェイトレスは答え、
「では、メニューをお持ちしますので」
 と一礼し、店の奥に消えて行った。
「それにしても・・・」
 三人はしばらく店内の雰囲気に浸った。
「ここまでコンセプトに沿った内装は、ル・ポルテ以上かも」
「いや、驚いた。まさかこんな所があったなんて」
 楓は横の壁にかけてある絵を観ながら言った。
「メニューでございます」
 さっきの小柄なウェイトレスがメニューを持って戻ってきた。
「金足りるかな」
「まあ、ランチだし、大丈夫だよ」
「お、さすがル・ポルテで働いてあるだけある。余裕だねぇ」
「お決まりになりましたらそちらのベルでお呼びください」
 浅く礼をし、ウェイトレスは再びパントリーらしき所に消えていった。
「いやー、参った。俺ここパスだ」
 ウェイトレスが去って、緊張が解けたのか、啓一は背伸びをした。
「なんで?」
「なんかこう、普通のレストランでしかバイトしたこと無いから」
 まるで肩が凝るとでも言いたげに首を鳴らす。
「まあ、お腹減ったし食べてから考えようよ」
「メニュー、フランス語だったりして」
 啓一が苦笑いをしながら言った。
「あ・・・」
 メニューを開いた楓がすっとんきょうな声を上げた。
「どしたの?」
「メニュー見てみなよ。普通のファミリーレストランと変わんない」
「あ、ほんとだ」
 高級なフランス料理と思っていたが、メニューはハンバーグやお子様ランチなど、見慣れた料理で占められていた。
「この頃はレストランもいろんな趣向を凝らしてるんだな」
「いくら食品業界には不況が無いって言ったて、やっぱり勝ち残るのは大変なんだよ」
「決まった?」
「うん。決まった」
「俺も」
 楓がベルをチリチリと鳴らすと、間もなく小柄なウェイトレスがやってきた。
「海老フライハンバーグ3つにライスセットをつけて」
「はい。お飲み物は何になさいますか?」
「コヒー一つに紅茶を2つで」
「かしこまりました」
 浅く礼をし、ウェイトレスはパントリーに消えて行った。
「あのウェイトレスさん、ちゃんとしたマナー教育受けてるみたいだ」
「え?」
「だって、礼の角度、正確だったもん」
「へぇ。ル・ポルテの店員に褒められるぐらいだから、厳しいんだろうな」
「ベル・・・か」
 楓は訝しげな表情でベルを手に取った。
「どしたの?」
「いや・・・ベルだ、と思ってさ」
「何変なこと言ってんだよ」
「何でもない」
「お待たせしました」
 しばらくすると、注文した料理が運ばれてきた。
「三人とも海老フライたぁ、芸がないな」
 テーブルに並んだ3つの海老フライを目にし、啓一が言った。  
「まあまあ」
「大体なんで三人同じものなんだよ!」
「啓一がこれでいいって言ったんじゃないか!」
「僕もこれが食べたかったし」
 三人のやり取りがおかしかったのか、小柄なウェイトレスはクスクスと笑った。
「失礼しました。では、ごゆっくりどうぞ」
「では、頂きます!」
 啓一が最初にがっつくかと思われたが、啓一は眞也がハンバーグを口にするのをじっと見ていた。
「・・・なんで二人とも見てんの?」
「いや、何となく眞也の反応を見てからにしようと・・・」
「眞也、どう?」
「うん。すごく美味しいよ。柔らかいのに挽肉とは思えない弾力もあるし。ドミソースも・・・うん。よく寝かせてある。かなり手が込んであるよ」
「なんか、知らぬ間に評論家みたいになったな・・・」
「まあ、食べよう」
 二人はそれぞれの口の大きさにハンバーグを切り、一口目から満足な笑顔を漏らした。
「ああ、ほんとだ。なんかうめぇ」
 眞也より一回り大きく切ったハンバーグを口にほおばる。
「芸がないのは啓一の感想だよ」
「なんだって?」
「口ん中に物を入れて喋るなよ。粒飛んでんぞ、粒が」

「はぁ〜、うまかった」
 啓一と楓の二人は、食後のコーヒー、紅茶と一緒に、煙草を吸っている。その間、眞也はウェイトレスを呼び、なにやら質問をしたりしていた。
「眞也、そのウェイトレスさんに惚れたのか?」
「ち、違うよ。レシピを教えてもらってたんだよ!」
 ペンでメモ帳をぺしぺしと叩きながら、頬を膨らませる。
「ムキになんなくていいって」
 そんな二人を横目に、楓はさて、とでも言うように煙草をもみ消した。
「そろそろ出るか」
「そうだな」
 啓一が煙草の火を消すと、楓がチリチリとベルを鳴らした。
「はい」
「チェックをお願いします」
「かしこまりました」
 ウェイトレスはそう言うと、伝票を持ってきた。
「へぇ。意外と安いんだね」
「まあな、よく見ると子供連れとかもいるし。青山でこの値段ならいい感じじゃん」

「ありがとうございました」
 入り口の店員が深くお辞儀をして送り出してくれた。
「あー、ここ当たりだったな。また来よう」
「うん」
 煙草に火を点け、一度大きく吸い込む。三人は同時に紫煙を吐き出すと、Pot au feuを後にした。
 目の前の信号が青に変わる。人々が忙しなく行き交う中、横断歩道の中ほどで楓ははたと足を止めた。
「どしたの?」
「つーか、何か忘れてない?」

「「「―――!?」」」

 三人は考え込んだ後、もと来た道を引き返した。
「俺達ここに面接受けに来たんだった!」
「次来た時に募集している保障はない」
「すいません!」
 入り口の店員は三人の気迫に目を丸くした。
「は、はい。何でしょう?」
「バイト、募集してるんですか?」
「えっ・・・あ、はい。ただ今随時募集中です! 今オーナーを呼びますから少々お待ちください」
 その店員は階段の奥の部屋に入っていくと、ズボラそうな男と一緒に出てきた。
「君達がかい?」
「あ、僕は付き添いです」
 眞也が前に出てそう言った。
「君は確か・・・ル・ポルテの新人歓迎セレプションにいた・・・」
「あ、はいっ。良くご存知で!」
 まさか、あの中にいた自分を覚えている者がいるなんて・・・眞也は恥ずかしそうに下を向いた。
「あー、そうか。当たって良かった当てずっぽう、なんちゃって!」
 なんてつまらない事を言って、男は頭をくしゃくしゃしながら大きな声で笑った。そして、笑うのを止め真っ直ぐに啓一達の方に向き直った。
「俺はこのPot au feuのオーナー峠 公一だ」
 先ほどまでの声とはうって変わった鋭い声で、男は自ら名を名乗った。
「おれ・・・いえ、僕は綱吉 啓一といいます」
「斎藤 楓といいます」
 その変貌振りに、きょとんとした顔で答える啓一、楓。
「見たところ、二人とも大学生かい?」
「はい・・・けど、訳あって四月から無職になります」
「ふむ・・・」
 思慮深い顔をしながら、胸ポケットに手を伸ばす。ポケットから箱が出きらないうちに、横にいた店員が「ここは禁煙です」と釘をさした。その言葉に、ああ、そうだったと苦笑いで答え、峠は煙草から手を離した。
「職業安定所でデータなしの為、該当から外されて・・・約一年間待たされることになったんです」
 頃合を見計らって、楓が話しを切り出した。
「そうか、君らも就職浪人か、ははは」
 可笑しそうに笑った後、峠はきびすを返し、頭を掻きながら奥の部屋に行ってしまった。
「お、おい・・・行っちゃったよ」
「どうする?」
 三人が頭をぽりぽりと掻いていると、それを見かねた店員が
「このままお待ちください」
 と言ってくれた。
 しばらくすると、峠は怪しげなスーツを持って戻ってきた。
「君達、泳ぎは得意かい?」
「「え?」」
「君達ね、採用。まあ、暇だろう? そろそろ昼の営業も終わりだし、早速仕事してもらうよ。あ、ちゃんと今日働いた分も給料出るから心配しないで」
「「は、はい!」」
 二人の元気の良い返事を聞いて、峠は嬉しそうにダイビングスーツを二人に投げた。

「峠君! またも無断で雇ったのかね」
 階段の奥の部屋の中、厳格な態度の老人が煙草をふかしている峠を叱りつけた。
「まあ、彼らも犠牲者だし」
「だからと言って私に無断で雇うとは」
「それにまあ、使えそうではあるよ」
 紫煙を吐きながら、画面に映る水槽の中の二人を見て言った。


To be continued

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