Pot au feu 営業日報!

ORDER No.3

「Pot au feu」


 淀みない白と深い蒼を基調とした店内。深海を思わせるその内装は、一種妖しさがあるが、不思議と落ち着く。中央にある下から上まで突き抜けている大きな水槽は、水のゆらめきを白い壁にゆらゆらと映し出している。その揺らめきは、まるで海底に漂う海藻。
 水槽の上の方を、眞也はぽかんと見上げていた。
「まあ、最初は雑用からか」
 もくもくと水槽の壁を磨く二人を見て、ぽつりと呟く。水槽に見飽き、店内を見渡すと、従業員が慌ただしく観葉植物やテーブルの配置換え、ちょっとした美術品の交換等をしていた。まるで舞台換えだ。
 ここpot au feuは、昼は『格を落とすことなくリーズナブルに』がモットーのファミリーレストラン。夜は高級フレンチのレストランという二つの顔を持っていた。様々な趣向を凝らしたレストランが健在する中、ここは眞也が知っている中でも最も異色と言えるレストランだった。一階はスタッフ・ルームとロビー。二階はレストラン。三階はバーとなっている。 夜は各界の著名人なども利用しているらしく、予約はいつも空いていない。昼はバイトを雇い、夜はプロが接客を行うというシステムになっている。
「じゃあ、先に帰って夕食作ってる」
 水槽に目を戻した眞也は、マイクに向かってそう言った。
「「おう」」
 眞也は水槽の中でバタバタと手を振る二人に見送られ、pot au feuを後にした。

 玄関の方でガチャリと鍵の開く音。
 キッチンで夕食の用意をしていた眞也はその音を聞き、エプロンで手を拭きながら玄関に顔を出した。
「お帰り」
 玄関で靴を脱いでいたのは啓一だけだった。
「・・・・・・」
 しばしの間。
「・・・主婦みたいだな、眞也」
「なっ!」
 眞也は、自分でもこの状況がそれっぽく思えたのか、手で顔を覆った。
「いや、マジ怖いからそんな顔しないでくれ」
「―――!」
 次の瞬間、眞也は啓一の顎に渾身の一撃を喰らわしていた。

「いってーな」
 ソファに座り、氷で顎を冷やす。キッチンからは、トントントンとリズミカルな音が聞こえてくる。
「楓は?」
 包丁の音が止み、眞也がクラッカーにハム、オリーヴをのせた簡易なオードブルを持って来て言った。
「マネージャーの宗田って人が、話があるから先に帰ってろって」
「ふ〜ん」
 意味深げに相槌を打ち、眞也はクラッカーを頬張った。

「君は何か運動をやっていたのかね?」
 額に寄せたしわは深く、普段もこんな顔をしているのだろう、と容易に想像できる。峠と違い、”厳しい”イメージであり、プロの威厳と絶対の自信を感じる。
「はい。中学から陸上をやっていました」
「なるほど」
「――ッ!?」
 いきなり二の腕を握られ、楓は戸惑った。それも―――尋常じゃない力でだ。
 ぎりぎりと握力だけで骨も潰しかねない力に、楓は声も出さずに筋肉を収縮し、耐えるしかなかった。
「く――」
「もう少しだな」
「え?」
「君は・・・ここを普通のレストランだと思ったかね?」
「いや・・・確かに内装とか凝っててすごいとは思いますけど・・・」
 言わんとしている事が解らず、”つまらない”答えになってしまった。
「フム・・・確かに。異常だと思うほうがどうかしているな」
 ちっとも可笑しくない笑みを浮かべ、宗田は背を向けた。
 その先には、二階から続く水槽がある。店長室はロビーをより洗練させたような造りだ。調度品も申し分なく、応接室としても多用されているらしい。
「あの・・・言っている意味が解らないんですが」
「先ほど君に提示した給料は、ここで昼に働く者の約五倍だ」
「確かに、普通じゃ・・・ないですよね」
 それを解っていながら、楓は判を押すことに躊躇いを感じなかった。どうしても・・・どうしてもその技術を手に入れる必要があったからだ。
「君には三ヶ月、通常の業務に加え、特別訓練を行ってもらう」
「はい!」
「この訓練は君にとって必ずプラスになる筈だ。厳しいだろうが頑張ってくれ」
「はい!」
「任務自体には確かに危険なものもあるが、君ならあるいは―――」
 と、言いかけたところで、ドアノブを回す金属音が鳴った。
 金属音の―――ほんの最初の一声で―――二人は反応した。
「まあ、詳しい話は明日」
「はい。失礼します」
 店長室を出る折、すれ違った長い黒髪の女の子に笑顔で会釈をすると、さも意外そうに目をぱちくりさせ、ニコリと笑みを返してきた。
 そんな風に驚かれるほど、気難しい顔をしていたのだろうか。

 玄関の方でガチャリと鍵の開く音。
 キッチンで夕食の用意をしていた眞也はその音を聞き、エプロンで手を拭きながら玄関に顔を出した。
「お帰り」
 玄関で靴を脱いでいる楓を、笑顔で迎える。
「・・・・・・」
 しばしの間。
「・・・主婦みたいだな、眞也」
「なっ!」
 眞也は、自分でもこの状況がそれっぽく思えたのか、手で顔を覆った。
「いや、マジ怖いからそんな顔しないでくれ」
 ひゅんと飛んできた眞也の右をさらりと受け流し、楓は笑って
「冗談だって」
 と言った。

 眞也特製ビーフシチューを平らげ、三人はリビングでコーヒー片手にテレビを見ていた。
「そういや、あの気難しそうなおっさんと何話してたんだ?」
 何気なく聞いたその問いに、楓は
「ああ。大した事じゃないよ。全くね」
 言って、ぐいとグラスを空にして、部屋に戻って行った。
「楓は嘘が下手だな」
「うん。あれは何かあるね」
「心配だけど・・・」
「あいつは詮索されたりするのが嫌いだからな」
「僕じゃきっと教えてくれないだろうね」
 時刻はじきに午前0時。
 余計な詮索をしないのも、男三人暮らしにとっては吉である。
 眞也が部屋に戻るまで、啓一はリビングでお決まりのJPSを蒸しながら、ぼうと部屋の隅の観葉植物を見ていた。
 やがて眞也がぺリエを手に部屋へ戻ると、啓一は何本目かの煙草を灰皿へ押し付け、腰を上げた。
「さて」
 余計な詮索事? いやいや。この三人に関しては、過去一度も余計な事は無かった。それほどにお互いをよく知り、また尊厳を重んじていた。
 眞也に女ができた時、楓に女ができた時、また、啓一に・・・。綱吉家の厚い壁と広い敷地は、実にお互いを程よい距離に保っている。
 だからきっと今回の胸騒ぎも、これからすることも余計な事じゃない。
 啓一は覚悟を決め、啓一の部屋のドアをノックした。
 コンコン・・・
「楓〜」
 返事が無い。
 もう一度。
「楓〜。おーい」
 コンコン・・・
「寝てんのか」
 耳を当てたが、テレビの音以外物音一つしない。
「・・・まあいいや。明日聞こう」
 再びノックしようかどうか悩んだが、啓一は自分の部屋へ引き返した。
 リビングに戻ると、冷蔵庫の前でペリエを飲んでいる眞也がいた。
「どう?」
 ハーフボトルに口をつけながら、眞也は聞いた。
「寝てるみたいだ」
「そっか。まあ、余計なことすると向こう一週間は口利いてくれないからね」
「おやすみ」

 その頃、楓の部屋では真っ白なカーテンが風にゆれていた。

「では、講義を始める」
 威圧するような声が部屋に響いた。
 隙間無く並んだ椅子に、屈強そうな男たちが姿勢を正して座っている。
 その中に、楓はいた。
「今日は新人を紹介する! 斎藤楓、前へ」
「はい!」
 前に出ると、総勢三十名の目が楓を威嚇するようにして迎えた。はちきれんばかりの筋肉を黒いスーツに隠した男達は、よくテレビやアニメに出てくるSPの様だ。
 眼光は鋭く、しかし睨まれているような威圧感はない。ただ、関心がないのだろう。
「名前、出身、NOを」
「斎藤楓、出身はTOKYO、NO.126です」
「よろしい。席に戻りたまえ」
 席に着くまでが異様に長く感じる。それ程、部屋の空気は息苦しい。純粋にムサ苦しいのだ。
「あれ?」
 空席だった最後尾の席に、女の子が座っていた。まだ二十歳かそこらの可愛さの残る顔だ。黒い髪は、何故だか黒のスーツによく似合っている。
 きりりと結んだ唇から、明らかに緊張の色が見て取れる。
 その姿に目を奪われていたのか、席に着くのが遅れた。
「No.126! 早く席に」
「は、はい」
 席に着くと、隣の席の男が舌打ちをした。
 居心地が悪くなり下を向いたが、ざわめきは一向に静まらない。
「おい、マジかよ」
「俺は御免だ」
「あんな女が」
 あんな女?俺は少なくとも女じゃないぞ・・・。顔を上げると、ホワイトボードの前に、さっきの少女がうつむき加減に立っていた。
「名前、出身、NOを」
「あ・・はい。千歳優香、出身は福島・・・No.127です」
「よろしい。席に戻りたまえ」
 ざわめきは、依然止まない。他人の事になど一切関心の無さそうな奴らが、これほどまでに関心の色を見せている。
 よほど例外的な事なのだろう。
 いや、そんな事は分かり切っている。周りの男達と比べ、華奢すぎる。第一、俺達は今から何を学ぼうとしている?
 ここへ彼女を導いたのはもしかして――
「では、授業を始める」
 その声で思考はクリアになった。
 知識と経験の無い俺は、ここでしっかりやっておかないと、確実に死に繋がる。
 楓は気持ちを切り替え、ペンを握りなおした。

To be continued

back