Pot au feu 営業日報!

ORDER No.6

「表と裏」


 一時間ほどの講義も終わり、実習の時間になった。
 今日は対都市テロを想定した訓練になっている。
 地下六階の施設へ移動している途中で、床にばら撒いてしまった書類を集めている女の子の姿を見かけた。
 関わっては適わんと、周りの男達は見向きもせずに立ち去っていく。楓は、この訓練に参加してから初めてできた友人の李を先に行かせ、書類を拾いながら声をかけた。
「君は確か・・・」
 数枚の書類には、靴で踏みにじられた跡もある。悔しげに唇を噛む少女は、ぽかんとした顔でありがとうと小さく言い、駆けるように立ち去った。
「ほんと・・・おかしな子だな」
「おい! 置いてくぞ!」
「あ――」
 李が止めていてくれたエレベータに慌てて乗り込む。隅には、千歳もいた。今回の講義の書類をじっと見つめている。
 表で会う印象はドジでのんびりとした感じだった。(ポトフでは通常の営業を表、こうした訓練や活動を裏と呼んでいる。) 性格こそ正反対だが、顔はどこと無く、啓一の妹の加奈子に似ている。背の小ささと童顔が相まって、歳は中学生ぐらいにしか見えない。姿はあの頃の加奈子の生き写しのようだ。
 小さいながら、足取りはしっかりしている。呼吸法もヨガを取り入れた腹式呼吸を行っていたし、手には空手をしている者にできるまめができていた。ハッキリと、何かの目的を持ってこの訓練に参加している事は疑いの余地が無い。しかし、何故・・・。
 そんな事を考えているうちに、楓達の乗るエレベーターは地下六階に到着していた。
 地下六階は四階分をぶち抜いたほどの高さがあり、そして異常に広い。
 知らぬ者が来たら「地下都市か!?」と仰天するだろう。
 その中の一つの建物で、訓練は開始される。楓は自分の班のテントに向かった。
 特殊班の楓はγ班。Ringと呼ばれる腕輪状の科学兵器に通じ、それ専用の講義も受けてきた。
 身体能力を瞬間的に上げることが出来るRingや、まるで透明人間の様になれるRing等、今日では用途に合った様々なものが開発されている。
 同じ班には千歳優香も居いた。楓や千歳のように身体能力的に”歩兵”に向いていない者は、Ringを扱う”Ring user”としての訓練を受ける。比較的非力な者が、身体能力を補う形で使用される為、楓が右腕に着けているRingは戦闘をパーティーに見立て”paty pooper(臆病者)”の印とされている。
「よう、まだ補助輪は外れねぇようだな」
 二メートルを優に超える大男が、愉快そうに楓の肩を叩いた。ツイストの髪をパイナップルの様に上で縛っている。それが男の黒い肌と黒いスーツに妙に似合っている。
 ニヤニヤとした笑みを口元に浮かべ、啓一と千歳を交互に見る。今のは彼流のジョークだったのだが、楓はその視線を無視し、銃器の整備を始めた。
「だんまりか。俺は他の奴らと違って、あんたらが嫌いなわけじゃないんだぜ」
 ひょいと楓を持ち上げ、無理やり前を向かせる。
「なんですか、いきなり」
 子猫の様に持ち上げられて、楓はますます機嫌を損ねた。この訓練を受けるようになって、前よりも人見知りが激しくなったせいもあるが、他人との関わりにいつも妙なピリピリとした違和感を感じていた。
「まあ、いくら”戦友”だって言ってもな。大概は金で動いてる奴らだ」
「知ってますよ」
 命に関わる問題だ。新参者の俺たちは、同じ隊にいるだけで全体のリズムを崩しかねない。そう言った意味で、実績の無い者に対する評価は極めて冷たい。
 彼らに信用されるには、どんなに篩いにかけられても屈しない強靭な心を持ち、尚且つ実力を示すしかない。
「俺はスラッジって呼ばれてる。俺みたいに優しく声をかけてくれる人は、大事にした方がいいぜ」
 スラッジは爽やかな笑みを二人に向け、β班に戻っていった。
「おかしな奴だね」
 千歳は「そうですね」と小さく言い、黙々と銃の整備を続けた。

「α・・・β・・・γ・・・GO!!」
 三階建ての建物に、それぞれ屋上、正面、裏口から一斉に突入した。
 各フロアに居る犯人を物言わせぬ速さで鎮圧していく。三分半後には、見事に統率された各小隊の活躍により、一階・三階は全ての部屋を制圧し終えていた。
 屋上からの突入班γに配属されていた楓は、二階で壊れかけたドアから人質を盾に出てきた犯人を発見した。こちらにはまだ気付いていないのか、それとも一・三階を制圧されても尚、人質を使って脱出できると思っているのか、犯人は銃口を左右へ隙無く動かしている。相手は三人。
 小隊長の李は下の班と連絡を取り、部隊長の指示を仰いだ。
「今回のクリア条件は人質全員の完全無事確保だ。人質にかすり傷一つでも終わらせたらそこで終了だ。その後は、楽しいペナルティが待っているぞ」
 作戦前の宗田の言葉が浮かぶ。先日はペナルティなどと言って、土に親指が埋まるほど指立て伏せをやらされた。
「あー、俺は嫌だぜ」
 楓の表情からそれと知ったのか、李が地獄絵図を見たような声を出した。
「俺だって嫌ですよ」
 ニヤリと李を見て銃を置くと、右腕に着けられたRingのスイッチを一つ押した。キィィィンと高周波数独特の音がし、近くの小石がカタカタと揺れる。足がふわりと浮く感覚。ゲインを今の自分に合わせ、足の調子を確認した。
光学迷彩の使用を許可する」
「ラジャー」
 今度は左のRingのスイッチを押し、三人は目でタイミングを確認した。そして次の瞬間、三人は同時に走りだした。楓達の体はもとより、服・・・いや、体の周りまでもが透過した。犯人達は光学迷彩を使用した時、視覚に生じる特有の違和感を覚え、辺り構わず銃を乱射した。が、遅かった。異常を察知した時には既に斎藤はヘッドロックで、李はナイフで、千歳は電気警棒で意識を一瞬の内に刈り取っていた。
 犯人は何が起こったかも解らないうちに床に倒れ、ホログラムで構成された体は消え去った。
 と、同時に
「よし、上がりだ。完全制圧時間――五分。切り詰めればまだ短縮できるはずだ。今回は光学迷彩リングを装備した者がいたが、いなかった場合も含めた訓練も今後実施する」
 宗田の冷めた声がイヤホンに流れてきた。
「よくやった」
 小隊長の李が背中を叩いた。
「は・・・い・・・」
 空を仰ぎながら、肩で息をする。千歳の方は床にぺしゃんと座り込んでしまっている。
 身体強化のRingを使用した為、楓は疲れ切っていた。身体強化のRingは他のRingとは違い、多大な体力を消費する。常時使っている事が出来ない上、戦闘中にこの様に疲れ切ってしまえば、確実に死が待っている。まるで戦場に子供のおもちゃを持っていく様に使い物にならない。それ故、戦闘技術に不安を持たない者は使わない。
 party pooperの印とされてる由縁だ。
「現場では立たせてなんかもらえないぞ」
 千歳に手を差し伸べながら、スラッジはニヤリと笑った。後ろにいるβ班の奴らも同様に笑っている――が、明らかに嘲りが含まれている。
 先日の事件のせいだろうか、それともここでは誰も信じていないのか、千歳は差し伸べられた手を使わず、自力で起き上がった。
「気丈なお譲ちゃんだ」
 壁に手をつきながら楓たちの元へと向かう千歳を見て、スラッジは感心したように言った。

 β班に配属されてから一ヶ月以上も経つというのに、千歳優香は周囲との関わりを極力避けていた。表の彼女は頼りなく、手を差し伸べずにはいられない感じだが、ここでの態度は正に静寂。抗議中は黙々とペンを走らせ、訓練中も最低限の言葉しか発しない。身体能力こそ非力だが、作戦遂行時に見せる意外な集中力が彼女を更に難解な人物に仕立て上げていた。

「ホールの千歳――だよな」
 帰り際、意外にも同じ道だったので肩を並べてみた。
 千歳の方も走り去るような事はせず、ただ「そうです」と答えた。
「表の方とだいぶ印象が違うな」
「自分では変えてるわけじゃないんですけどね。ただ・・・」
「ただ?」
 横断歩道の色が赤に変わり、二人は足を止めた。深夜だというのに、右から左に絶え間なくエレキカーが過ぎてゆく。
「気を抜いたら死んじゃうかもって思ったら――」
 その時、大型車が目の前を通り過ぎ、砂塵を舞い上げた。
 楓は咄嗟に上着を千歳にかけ、砂から守った。
「すみません」
「謝る事じゃないよ」
 楓は、目の前を過ぎ行く車の様に会話に流れがついて来ているのを感じていた。
 青に変わった横断歩道を歩く。―――いつに無く上機嫌に。
「啓一さんと同じ事言うんですね」
「え?」
「謝る事じゃないって。・・・私、何でかな。すぐごめんなさい、すみませんって言っちゃうんですよ」
「ああ。俺達、在学中に半年アメリカに留学してたからね。向こうの方の人は謝るって事は負けを認めるって事で、感謝の気持ちを表す言葉と取らないからね。彼らと接しているうちに段々とね。感謝してるのに謝るって事に違和感を感じるようになったんだよ」
「そうですか・・・」
「人に何かをしてもらったりする時、すみませんって言っちゃう時あるだろ?」
「はい」
「私が本来やる事をやらせてしまってすみません・・・じゃなくて、やってくれてありがとうって・・・感謝の気持ちを先に言うのが当然と言うか、自然な事だと思うんだ。上手くは言えないけど」
 千歳はふんふんと感心した様に頷いた。
「啓一とは腐れ縁って言っても言い切れないぐらい長い仲だから、色々話したりしている内に考え方が一緒なとこもできたんだろうな」
 住宅街への入り口で、千歳は足を止めた。
 自分たちの来た方向から見て、右と左に坂の下りと上りがある。T字路になった路地の突き当たりに、小さな公園があった。
 公園に置いてあるブランコが、小さく風に揺られキィキィと音を立てている。
 自分の方向とは逆に足を向けていることから、楓はここがお別れの場所だと気付いた。
「思い切って話してみてよかったよ」
 啓一達といるときの様な自然な笑みがこぼれ、千歳も表で見るようなにっこりとした笑顔を浮かべた。
「私もです。でも・・・」
 千歳の表情が、急に寂しそうな顔に変わった。
「うん。解ってる。裏では極力関わらない」
 そう、それがきまり。いや、当然のこと。
「はい。では、また」
 そう言って、千歳優香は小さな体で風を切りながら長く緩やかな坂を下って行った。

To be continued

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