Pot au feu 営業日報!

ORDER No.7

「ル・ポルテ」


 月日の流れは早いもので、啓一が香川グループの跡取トオルとの一件から早一ヶ月が経過しようとしていた。
 この一ヶ月間、啓一は文句一つ言わずに黙々と掃除を続けた。
 楓は既にキッチン内でも指折りのスタッフに成長しており、――自分では自慢しないが――周りのスタッフから厚い信頼を得ていた。人見知りをする性格なので、ポトフに入って二ヶ月経つというのに、未だに周りの人達は楓から一歩引いている感がある。帰り際などに自分と話している楓を見て皆が目を丸くしている事に、何となく啓一は楽しみを覚えていた。
「楓〜。帰るぞ」
 楓が遅いので、啓一は男子更衣室に戻ってそのドアを開けた。
「ちょっと待て。ホールの長谷川さんに渡す物があるんだ」
 大きなレコードをひらひらと見せながら、楓は潰れた靴のかかとを直した。
「珍しいな。楓がホールの奴と絡むなんて」
「たまたまこのアルバム持ってたんで、話聞いてたついでに貸してあげることにしたんだ」
 休憩室への廊下を歩きつつ、そんな会話をする。何人かがリニアに乗り遅れそうなのか「お疲れ!」と言いながら柔らかい絨毯の廊下を走り去って行った。
 女子更衣室の前を通り過ぎると、休憩室の手前で一人の女性が本を読みながら落ち着きなさげに立っていた。
「おい長谷川!」
 啓一が呼び止めると、長谷川素子はさも不機嫌そうな顔でこちらに目を向けた。
「俺、何か嫌われてるんだよ」
 そっと楓に耳打ちする。
 長谷川素子はホール内でも指折りの上流家庭の生まれで、政府直属の建設機関である長谷川建設の次女である。才色兼備の持ち主で、ホール内でも一際目立つ存在だ。
 性格は悪くない・・・のだが、極端に男を嫌う性質らしく、特に啓一の様に気軽に話し掛けてくる者には、そのズバズバとした物言いが一味もふた味も切れが良くなる。
「長谷川さん、これ」
 ボロボロになったレコードのジャケットを渡すと、素子は上品な笑顔を浮かべ、「ありがとうございます」と頭を下げた。
「何で俺の時とこうも違うんだ」
 はぁと溜め息をつくと、楓は「さあね」と小さく言った。
「外に車を待たせてあるので、お先に失礼します」
「そうか。気をつけて」
 また今度・・・と、手を振る楓。
 楓は人見知りだが、決して意識的に避けているわけではない。話し掛けられれば話す。単に、人よりも打ち解けるまでに時間がかかるだけだ。その代わり、仲良くなるとどこまででも優しい。自分には気付かない事も気付いてやれる楓の優しさを、啓一も羨ましいと思っている。
「あ、言い忘れましたわ」
 膝まである上品なスカートと髪を翻し、素子が振り向いた。
「綱吉君」
「ん? 俺?」
 あちらから話し掛けられるとは思ってもみなかったため、きょとんとした顔になる啓一。素子の表情は何となく柔らかくなった様だったが
「あの一件以来、どうも義妹があなたを慕っているようですけど・・・あまり関わらないでくださいね」
 と口を開くと、また元の厳しい視線に戻った。
「では・・・」
 明らかに楓に向けてお辞儀をし、ふわりとRASHの香りを残しながら、素子は音も立てずに帰って行った。
「何だってんだ・・・」
「さあね」
 しばらくぼぅとしていた啓一だったが、扉が閉まる音にはっと気付き、荷物を取りに休憩室に入った。
「あのレコード・・・」
「ああ。パパのだ」
 言って、楓は口を抑えた。
 今時”パパ”なんて言ってるのが恥ずかしいのだが、癖なのでしょうがない。
 笑いを噛み殺す啓一の頭をバシッと叩き、楓は続けた。
「レコードは、今はもうほとんど手に入らないからな。長谷川さんなら手を回せば手に入るんだろうけど、早く聞きたいらしくて」
 二世紀以上前のメディアが残っているのは、本当に珍しい事だった。音飛びはするし、第一にプレイヤー自体の生産が無い。
 デジタルがアナログを凌駕した現在、”古き良き”音質も、”古き良き”雰囲気も、その全てが再現可能になっている。
「先祖代々伝わってきたんだ。あれは」
 啓一も、楓の部屋から流れてくるレコードの音に時々耳を傾けている。
 音の中にぷつぷつとした雑音が混じってる。が、雑音というより、一種その音が出す安心感に心が休まる。現在のプレイヤーは、必要ならばその領域さえも再現する事ができるのだが、二世紀以上前のメディアと言えど忘れ去るわけにはいかない・・・と、聞く度に啓一も思ったものだった。
「用は済んだんだよな」
「ああ」
 バックの中を確認し、よしとチャックを閉める。
「眞也んトコに飯食いに行かねぇ?」
 洗い場から解放された眞也は今、前菜担当のコックを務めているらしかった。
「オーケィ」
 二人ともル・ポルテに行くのはあの職業安定局に行った一度だけだった。眞也の働きぶりの見物も兼ねて、前々から行こうと思っていたのだ。
「眞也は確か練馬のル・ポルテだったよな」
「ああ。今から予約しても行けるのかな・・・」
 ル・ポルテは人気指折りのレストランで、大体三日前からの予約が必要となる。
「知り合いって事で聞くだけ聞いてみるか」
「ああ。んじゃ、誰か呼ばねぇ?」
 言って、啓一は楓をちらと見た。
「いいよ」
 小さめの丸めがねをくいと上げ、楓は笑って答えた。

「緊張する」
 練馬庁舎の横に威圧するようにそびえ立つ職業安定局。
 コツコツと硬い足音が無数に鳴り響くフロアで、京野香枝は頬を掻いた。
「何でだよ。こうゆうとこ来た事無いのかよ」
 それに呆れた声で啓一が答える。
「うん。だって高いじゃない」
「はい。ご馳走になるのは何だか悪い気がします」
 優香も香枝と変わらずおずおずとしている。
「今日は誘ったからおごりだ。金の事は気にすんな」
 天然物だろうか・・・大理石張りの階段を降りながら、啓一は香枝の肩を叩いた。ル・ポルテは職業安定局練馬支部の地下一階にあるが、地下と言っても中地下一階に当たる所にある。低く設置された階段を降りると、間もなく赤い絨毯が顔を出し、次いでタキシードを着た中年の男性が「いらしゃいませ。お待ちしておりました」と深く頭を下げた。
「おごりって・・・ほんとにいいの?」
「いいって。そんなにかしこまられるとこっちが堅苦しくなる」
 楓が対応をしている後ろで、香枝が啓一の背中をつつく。その様子は不安で一杯な感じだったが、啓一のマネーカードの表示を見て、小さな声で「ゴチです」と言った。
「父さんの遺言でね。俺の為になることだったらなんにでも使ってもいいんだってさ」
 半ば呆れ顔の香枝と優香を連れて、啓一と楓はル・ポルテの中を進んだ。
「本日は当店のスタッフ小池眞也のチョイスしたメニューで宜しかったでしょうか」
「はい」
 普通の客席を通り過ぎ、充分な広さのある廊下を進んでゆく。床には赤色の毛の長い絨毯が敷いてあり、この人数で歩いても音も立たない。白と赤を基調とした店内には老練な木材が所々に使われており、ル・ポルテの重厚なイメージをより一層引き立てている。
 啓一は何故か、等間隔に置かれた剥製が自分たちを見ているような錯覚に陥った。
 それはあまり歓迎していない目つきでこちらを見ているようにも思える。首筋にひんやりとしたものを感じた啓一は、ブルッと身を振り悪寒を振り払った。
「啓一さんも感じましたか」
 横を歩く優香が、ぽつりと言った。
「ん?」
 いつもと違った鋭い目の優香を見て、啓一は首を傾げる。
「いえ・・・な、何でもないです!」
 優香は、顔を真っ赤にしながらものすごい速さで小さく手を振った。
「意外な一面って奴だな」
 くくっと意地悪な笑い方をすると、優香は怒った様に頬を膨らませた。
「あんまり優香ちゃんをいじめないでよね」
 後ろにいた香枝が啓一の太ももをぎりと抓み、優香の方に向かって力んだ笑顔を浮かべる。
「いてぇ! こうゆうトコに来た時ぐらいそうゆう癖やめろよ」
「あ!」
 自分のいる場所を思い出した香枝は、ホホホ・・・なんて全然似合わない取り繕いの声を出して、啓一のツッコミをやり過ごした。
「個室・・・ですか?」
「はい。あいにく予約の空きが個室しか無かったもので。お気に召されませんでしたか」
「いえ。すみませんお忙しいのに」
 丁寧な口調でしっかりと喋る楓に気を良くしたのか、支配人はアペリティフをサービスしてくれると言った。
 重厚な両開きのドアが開かれ、四人は小さく声を上げた。
「広いですね・・・」
「金足りんのか・・・」
「すごいな・・・」
 香枝なんて声すら出ていない。
 広い事はまあ広いのだが、それ以上に洗練された内装に皆驚いていた。
「オードブルの後、小池がお伺いする事になっております」
 四人がようやく席に着くと、支配人が一通りメニューの説明をし、席を外した。
 続いて左手のワイングラスに水が注がれたのだが・・・啓一はそれを一気に飲み干した。
「啓一」
 と釘を指す楓だったが、啓一の今日の仕事内容を思い出し、仕方なさ気に溜め息をついた。その様子にすまんと啓一はジェスチャーをした。
「やっぱ緊張する」
「ポトフで働いてんのに何で緊張するんだよ」
 ナプキンを広げ、膝にかけながら啓一が言う。見よう見真似でナプキンを広げる香枝だったが、ぎこちない。一方優香は手馴れた手つきでナプキンを広げた。
「何かみんな余裕な感じじゃない。ポトフで働いてるって言っても、私は昼しか知らないのよ。大体、何で啓一がさつなくせしてこうゆう時は上品なのよ」
「場所が場所だし、親友が働いてるんでね」
 言った拍子に手にフォークが当たり、それが音を立てて落ちた。
「すみません」
 側にいる給仕に謝る啓一。それを見て、香枝が「なんか安心した」とぼそりと言い、優香がくすりと笑った。
 そうこうしている内に前菜がばれてきた。眞也がチョイスしたアペリティフに合う、上品な青物だった。
「さすが眞也。美味いな」
「ああ」
 何度か眞也を見た事があった香枝と優香は、目を丸くして驚いた。
「あいつこんなに料理上手かったんだ」
「驚きました」
 普段の眞也は少しズレたところがある。おっとりしてると言えば聞こえはいいが、単に何かにつけて運がなく、それを他人からはぼぅとしていると捉えられがちなのだ。
「やあ、いらっしゃい」
 給仕が下がると、真っ白なコック帽とコックコートに身を包んだ眞也が入ってきた。
「おお、眞也。これうめぇぞ」
「ありがとう。すごくいいオリーブが入ったんでね。生ハムを中に詰め込んでみたんだ」
「へぇ」
 楓が感心したようにオリーブを一つ取り上げる。成る程。グリーンオリーブの中をくり抜き、中に生ハムが巻かれて入っている。
「ただのドジじゃなかったのね」
「きついこと言うね」
 恥ずかしそうに頬を掻く眞也を見て、皆声を上げて笑った。
 眞也が去った後、絶妙のタイミングで一皿一皿が運ばれてきた。給仕は――年齢も若いことを考慮してか――笑顔を絶やさない明るい子を一人つけてくれたおかげで、テーブルマナーに不慣れな香枝も気を張る必要も無く、逆にあれこれ聞いていた。
 メインを食べる頃には――ワインを二本空けているせいもあるが――すっかり緊張の色も無くなっていた。
 メインを食べ終え、お腹が落ち着き始めた頃、スイートポテトをパイに包んだようなデザートが運ばれてきた。
 金箔がふわりと乗せられたそれは、食べるのがもったいないほど綺麗な色をしている。琥珀色に光るパイの表面には「Thank you for nice time」と薄く書かれていた。

「こうゆうところで食べると、きっと楽しくないと思ってた」
「何で?」
「何かこう・・・堅苦しいだけで楽しくないと思ってたから」
「そりゃただの先入観だ」
「でも、美味しかったし、楽しかった」
「まあ、満足してもらえてうれしいよ。きっと眞也も喜ぶ」
 会計を終え、啓一達はル・ポルテの一階、ロビーに当たるところで一服していた。
「眞也君は何時に上がるんだっけ?」
「今日は十時に上がらせてもらえるらしい」
 支配人が気を配って眞也を早く上がらせてくれたのだ。
「優香ちゃんは時間大丈夫なの? その・・・」
「はい。私の家は長谷川家のしきたりとかはあまり言われないんです。お母さんがお父さんと結婚した時点で、ほとんど遠い分家扱いになったものですから」
「そっか。まあ、一応連絡も入れてるし、どう? この後眞也連れてみんなでポトフに飲みに行こうかと思ってるんだけど」
「お誘いは嬉しいですけど・・・今日はもう帰ります」
 しゅんとした表情になる優香を見て、楓はひとつため息の様な煙を吐いた。
「日が空いたらまた行こう」
 楓の言葉に笑って頷き、優香は皆に惜しまれながら職業安定局の自動ドアをくぐって行った。

 三ヶ月の訓練をようやく終え、優香は今日初めての実戦を経験する事になっていた。
 ポトフの従業員専用通路から普段は三階のバーに直結しているエレベータに乗り込む。中に入り、パネルを開け、SecurityLv.3と書かれたカードを通すと、パネルにB3の表示が浮かび上がった。
「遅いぞ千歳君」
「はい。すみません」
 エレベータを出て更にドアをくぐると、宗田が顔をしかめて腕組をしていた。服装は表で見るものと変わらないが、口は更に強く結ばれている。
「今日は君の初陣だ。パートナーを一人つけるが、こちらの判断次第では次回から一人と言う事もありえる。心しておきなさい」
「はい」
「では今日の作戦を説明する」
 青白く光る透明なボードの上に、見覚えのある建物の設計図が浮かぶ。ゆっくりと回るそのホログラムは、赤と青の部分に別れていた。
「現在調査済みの場所が青で表示されている部分だ。前回の潜入でここまでは解ったのだが、後の赤い部分の調査はまだ行われていない」
「つまり・・・」
「この赤で表示された部分を潜入・捜査してきてもらいたい」
「解かりました」
 アルミ製のアタッシュケースが運ばれてきて、優香は中身を確認した。
「そして、今回のパートナーは君の先輩でもある彼だ」
「よろしく」
 コリアン独特の角張った頬をした男が、奥の部屋から顔を出した。李だ。
「よろしくお願いします」
 詳しい調査内容を聞かされた後、二人は職業安定局練馬支部に向かった。

To be continued

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