Pot au feu 営業日報!

ORDER No.9

「Cross Feeling」


「誤解が解ければいいんだけどな・・・」
 携帯でシャッターを降ろしながら、楓が言った。抱き合っているところを見られたのが恥ずかしいのか、それとも単に冷静になって嫌気が差したのか・・・優香はひんやりとするガレージの中でずっと下を向いている。
「ごめんな。軽率な事して」
 Z6のリモコンを押すと、ハザードランプが二回光り、ロックの確認を知らせた。優香はふるふると首を横に振り、楓の腕を掴んだ。
「へっちゃらです・・・」
 大島桜の様な薄い控えめに染まった頬に、懐かしい感覚が蘇る。何だろう。どうにも困った。自分の理解の外で色々起こっているみたいだ。
「あのさ・・・一つ聞いていい?」
「はい?」
 大きめのタレ目が子供の様に下から覗く。
「啓一の事、どう思ってんの?」
 その問いに、優香は目を伏せて「・・・頼れるお兄さんと思ってます」と答えた。頼りない蛍光灯の光りに照らされた優香の目には、目を離すと誰かに連れ去られてしまいそうな、そんな危うさがある。
「そう・・・」
 長谷川素子の勘違いだったのか。自分的には納得いく結論だったが、楓はこれはこれで安心した。本人すら気付いていない風を装っているが・・・楓には何となく香枝が啓一を慕っているように思えたからだ。鈍感なこの二人。果たして上手くいくのだろうか。そう考えるうち、何となく楓は笑っていた。相手を気遣う優しさを含んだその笑みに、優香の顔も自然にほころんだ。
「みんなが待ってる。行こうか」
「はい」
 裏か表か。どっちにいるかによって接し方を変えられるほど、俺達は器用になれる歳じゃない。今は――確かにお互いの身の安全のためにもそうするべきなのは分かってはいるが――自然のままでいようと、楓は思った。

 リビングでは既に、ソファに沈み込むように啓一と香枝が座っていた。香枝は既に半分寝かかっている。その横で、啓一が何やら楽しい話題を見つけたように二人を席に促した。
「眞也、ゴメンけど何か作ってくれないか?」
 楓はガラス張りのテーブルを囲むようにコの字型に配置された――五人掛けのソファの左手に――どさりと腰を下ろし、キッチンでジン・トニックを飲んでいる眞也に言った。
「千歳は何か飲む?」
「じゃあ、お水で」
 小さく頷き、血が固まりかけている首筋の引っ掻き傷を気にしながら言った。
「ちょっと待ってな」
 楓が樫の木で作られたどっしりとした棚から、古めかしいデザインの救急箱を取り出し、テーブルの上に置いた。中から消毒液と綿を取り出し、優香の傷を丁寧に拭う。染みる消毒液に顔をしかめながら、優香は黒いスラックスをぎゅっと握った。
「すいません・・・」
「「すいませんは言わない」」
 啓一と楓が同時に言った。ふんと鼻を鳴らしたように楓が笑う。
「つーか、引っ掻き傷って・・・普通逆じゃねぇ?」
 グラスを傾けながら冗談半分に笑う啓一をひと睨みし、道具箱の中からガーゼを取り出して優香の首に巻いた。巻きんがら楓は思った。先ほどまで戦闘をしていたのに、この落ち着きは何だ。最初にミーティングルームで見た時にも驚かされたが、この精神力の強さが宗田が千歳を引き抜いた所以なのかも知れない。
「これでよし」
「ありがとうございます」
 まだひりひりと消毒液の痛みが残る首筋を擦りながら、優香は下を向いて言った。何となく、首筋を暖かいものが包んだ気もする。
「あのさ、一つ聞いていいか?」
 啓一がペリエを飲みながら二人を指差す。口を離すと同時にキュポンと変な音がし、横にいる優香が笑った。
「お揃いのリング着けてるけど、それってもしかして―――」
 言われて、楓と優香はお互いに目を見合わせた。―――身体強化のRingを着けっぱなしにしていたのだ。
「で、どうなん――」
 piriri・・・
 啓一がツッコミかけたその時、楓の胸ポケットで携帯が鳴った。画面には宗田の文字。楓は啓一にごめんのジェスチャーをし、リビングを出た。
「はい。斎藤です」
『千歳優香は無事か?』
「はい。今は啓一―綱吉君の家で休んでます。何かあったんですか?」
 そう言うと、宗田は考え込んだように受話器の向こうではぁと溜め息をついた。
『君の家の側でな、長谷川素子が君たち二人が一緒にいるのを見たと言ってこちらに電話を掛けて来たんだ。楓君の家の住所を教えろと言ってきた』
「え゛っ?」
 何でこんな時間に長谷川さんがこの近辺をウロついているんだ・・・。何かとんでもない事になっている予感がする。
「実は・・・」
 楓は右の鼓膜が破れるのを覚悟で、ガレージでの事、啓一達に二人が付き合っていると勘違いされている事を宗田に話した。
『そうか・・・面倒な事になったな』
 そして、心底呆れたようにこう言った。
『では、外見だけでも付き合っているように見せるんだ。その方が今後の作戦においても都合がいい』
「ちょ、ちょっと待ってください! そんなの無理です!」
『質問は無しだ。こちらのマイナスになるようなことだけはするな。以上だ』
「あ・・・」
 ケータイからはプープーと空しい音が聞こえ、リビングでは啓一が騒いでいる。玄関では――有無を言わさず開けなさいとの長谷川素子の声。リビングと玄関に挟まれた廊下で、楓はケータイを床に落としたまま立ち尽くした。薄暗い廊下が、果てしなく長く感じる。
 どれぐらいぼぅとしていただろうか。いや、実際にはそんなに時間は経っていないはずだ。多くとも二分。玄関に響くインターホンはかなり落ち着いたようだ。
「千歳!」
  リビングに繋がるドアを開けると、ソファで楽しそうに啓一と談話する優香が見えた。ちょいちょいと手で招くと、すぐさま気付き、嬉しそうにトテトテと走ってきた。少しお酒が入っているのか、大島桜の頬が少し色づいている。
「啓一、長谷川のお嬢さんが千歳迎えに来たみたいなんだ」
「そっか・・・俺も出ようか?」
 腰を浮かし、ソファにまたがる。
「いや、ちょっと千歳と話もあるから・・・」
「オーケィ」
 妙な気を利かせているつもりなのだろう。啓一は再びソファに沈み込んだ。
「話って言うのは」
 楓は先ほどの事をありのままに話した。聞き終わると、千歳は顔を伏せたまま動かなくなった。沈黙が続いたが、何となく居心地は悪くない。
「いや、俺も無茶苦茶だとは思うよ。けど・・・俺はこの命令には賛成だ」
 その言葉に顔を上げる優香。影を落としたような表情の中に、信じられないとでも言いた気な驚きと、悲しい輝きが見えた。
「心配なんだ・・・」
 弁明がましく聞こえるだろうが、この提案には少なからず楓は納得していた。こうなった以上、作戦実行時には一緒の班になることが多くなるだろう。 そうなれば、必然的にこの危なっかしくて落ち着かない気持ちを和らげる事が出来る。
「・・・わかりました。表面上はそうゆう事にしましょう」
 その凍りついた表情に、楓は一瞬ぞくりとした。
「あ――」
 インターホンが悲しく鳴り続ける玄関に向かって、優香が歩いてゆく。楓には、解かっていても踏み出すべきその一歩が踏み出せなかった。
「お邪魔しました」
 長谷川素子と共に頭を下げる。ドアが閉まるまで、優香の視線は一度たりとも楓と交差する事は無かった。
「・・・くそっ! 何だよ、あれは!」
 楓は床に着くまで考え続けたが、結局優香のあの態度の原因を理解することはできなかった。

 それから一週間が過ぎた。六月の第一週に入り、五月の様な中途半端な寒さも無くなり、街は急速に夏へと向けて加速を始めていた。
「気象管理装置―ソアラ、異常相次ぐ」
 啓一が新聞の見出しをぽつりと読み上げた。現在の地球に満ちている空気の60%は、世界六ヶ所に浮かぶソアラがまかなっている。ソアラの異常が見つかりだしたのは、今週に入ってからだ。北アメリカ、オーストラリア、そして今回異常が起きたアフリカを含め、現行のソアラの半数がこの一週間の間に何らかの異常を起こしていた。
「世界転覆でも企ててる奴がいるんかね」
 いかにもワイドショーを賑わしそうな話題だったが、啓一は興味もなさ気に第一面をめくった。
「でも何か怖いよね」
 モーニングコーヒーを三つ、リビングに運んできた眞也が言った。ミルクを入れたコーヒーを一口飲み、もう一言。
「アレが落ちて来たらと思うと・・・」
 丁度ソアラが真上に来たのだろう。雲とは違う、確実な影が庭を横切った。
「俺らが生まれる前からあったんだぜ」
「落ちはしないだろうけどな」
 腑に落ちない表情で楓が付け足す。ポトフの情報部が入手した情報によれば、この一連の事件には組織的な行動が見られ、そして何らかの目的があるらしかった。新聞でも載っていない、裏情報。
「さて、風呂でも入るか」
 啓一がコーヒーを一気に飲み干し、風呂場へ立った。眞也がコーヒーのおかわりをしにキッチンへ立つと、リビングには楓一人になった。大きな一枚ガラスの窓を開け、暖かい日差しを浴びた。良く晴れた、気持ちのいい朝だ。
 青く光る空を見上げる。流れる雲の合間で、ソアラが散歩でもする様にゆっくりと空を過ぎて行った。

 

To be continued

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