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私を男と呼んでくれ(仮題)

第四話『煩悩―奇妙な夢』


 どうやら心の琴線に触れたようだった。
 倒したソファベッドの上で、ジャスミンが泣いている。横では皐さんが困った様な、だが暖かい笑顔でジャスミンの乱れた髪を梳いていた。
 どうにも所在無い感じだったが、俺は別にこの雰囲気を何とかしよう・・・とも思わずに、ただ目の前にあるテレビにぼぅと目を配らせていた。
「咲矢ってすごいね」
 ジャスミンの髪を梳き終わると、皐さんは感心したように言った。
「え?」
 ジャスミンが別にレズでも何でもない事を言い当てたからだろうか。いや、それとも・・・。
 何かを言いかけて、そのまま皐さんは言葉を飲み込んだ。
「心って見抜くものなのかな?」
 しばらくの沈黙の後、皐さんは唐突に切り出した。まるで自分自身に問い掛ける様なその呟きは、だがはっきりと鼓膜を揺らした。
「見抜くとか・・・そういうんじゃないと思いますよ」
 ジャスミンを抱いていた手で、今度は自分の膝を抱え、膝の間に顔を埋めた。
「私の周りには・・・私の為に色々考えてくれる人はいるけど、本当にして欲しい事をしてくれる人はいないんだ」
 皐さんは見た目はおっとり系の割りにお姉な感じもあり、大抵の男は「お!?」と思う容姿をしている。仕事柄、欲しい物やして欲しい事の大抵は一声掛ければ誰かしらにしてもらえるはずだ(俺から見ると実際してもらっている)。 朝起きて寝るまで満足のまま過ごしている。そんな感じ。それを証明しているかの様に、腕にはつい先日まで欲しがっていたカルティエの時計が光っている。
「皐さんがそんな事言うとは思わなかった」
 何故?と寂しげに問い掛ける皐さんに、「毎日が楽しそうだからですよ」とは言えなかった。何も言わないままコタツに横たわり、出しても差し支えない言葉を探した。木目の天井が見下ろす下で、考えても、あまりいい答えは浮かばなかった。その質問には答えずに、俺は皐さんを見ながらこう言った。
「ただね・・・感じるもんだと思いますよ。心とか・・・よく解かんないけど」
 ”愛には形が無いとか言うけど、触れられなければ寂しいもんだよね”とイエモンの歌詞にはあるが、これはきっと物理的に”触れる”のではなく”強く感じ合う”事を意味するんだと思う。人を好きになり、手を握り合えば・・・上手くは言えないが相手の”こころ”に接している気がしてくる。そして抱き合えばもっと・・・。
「感じるって・・・またこんな時にそんな事言うんだから!」
 フォンッ!とキレの良い音が聞こえたと同時に、額に踵が入り、俺は畳の上に頭をぶつけた。
「いってぇ・・」
 自分の中に入って色々考えていると、俺は凄く塞ぎがちな表情をするらしい。皐さんは俺を元気にさせようとでも思ったのか、そんな冗談を言いながら、おでこに踵落しを放ってきた。
「下ネタじゃないっすよ!」
 と、同時に見るモンはしっかり見る俺。俺の目線を見て、皐さんは最近流行の一言。
「どこ見てんのよぉ!!」
  ・・・まあ、部屋に来てからずーっと見えてはいるんだが。
 そんな俺たちを見ていたのか、ジャスミンが泣きながら笑っていた。嗚咽なのか笑いなのか解からないその仕草が妙にいとおしく見え、何となくコタツから這い出してジャスミンの肩をぽんぽんと叩いた。・・・まあ、隣に寄りかかれる人がいるんだから必要無いのだけれど、俺の手は自然に彼女の肩を優しく叩いていた。
「・・・ありがとう」
 勇気付けるでもなく、支えるでもない曖昧なスキンシップだったのに、ジャスミンはそう言って俺に寄りかかってきた。
「ラッ・・・」
 キーと言いかけたが、すぐ隣に”私にはそんな事しないじゃない”みたいな目で見るお姉さんがいる為、言い留まった。
「・・・まあ、いいけど」
 皐さんはふぅと呆れた様な溜め息を吐いた。この言葉は俺に対してではなく、ジャスミンに言った様だった。・・・何となく。
「ねえ」
 ジャスミンにHugをする俺の袖を引っ張り、皐さんは電気を消した。
「もう寝よう」
 皐さんはそう言ってベッドに横たわった。
「そうですね」
 ジャスミンにかけていた手をほどき、俺はこたつに戻った。二人の寝息が聞こえてきた頃には、部屋の暗さに目が慣れていた。そして、俺の目には再び天井が映った。渦の様な模様が不気味に俺を見つめている。まるで、異世界へと誘う様に渦が動た。錯覚だろうが、渦はぐるぐると中心に向かって雲が吸い込まれる様に流れている。その様子に気分が悪くなり、俺は自然台所へと足を運んでいた。冷蔵庫から出した薬を水で流し込むと、少し気分が和らいだ。 二人は仲良さ気に手を繋いですやすやと眠っている。窓辺に流れる車のヘッドライトが一瞬だけ部屋を照らす。・・・それは、とても魅力的な光景だった。
 どれぐらいの間二人を見ていたのだろう。こみ上げる煩悩を振り払うようにこたつの中へと潜り込んだ。と、同時にベッドからごそごそと床ずれ音が聞こえた。物欲しげに見つめていたのがバレたと思い、俺は慌てて顔を背けた。
「咲矢・・・」
 ジャスミンだった。
 ジャスミンの顔は暗くて良く見えないが、数秒後には唇を重ね合わせる事になると思った。その上気した吐息で顔を撫でられる。
 アパートの前を再び自動車のヘッドライトが横切った。その一瞬のシルエットで、俺は思い出した。
「君だったのか」
 自然、呟いていた。夢の中の女性は、今正に目の前にいる。あの唇も、美しい四肢も、そのままだ。これから起こる事も俺には容易に想像ができる。――非現実的な事を除いては。
 彼女は優しく頬を撫でると、首筋に舌を這わせ胸、腹を服越しに舐めた。股間にまで到達すると、今度は全身を乗せながら舌を首筋にまで戻す。卑猥な映像の癖に、ちっとも感覚が無い。薬のせいだろうか。・・・少し残念。耳元を風の様になぞると、彼女はニヤリと気色の悪い笑みを浮かべて俺の股間に手を添えた。
「咲矢・・・私、この病気知ってるよ。貴方と私は似たもの同士」
 そう言われた途端、ゾクリとした悪寒を感じ、俺は叫び声を上げながら起き上がった。

「あれ・・・」
 起き上がると、窓の外はもううっすらと白んでいた。俺の上には誰もいない。ただ大粒の汗が頬を伝った。
 これもまた夢だったのか、俺の大声にびくともせずに二人はベッドの上ですやすやと眠っている。
「はぁ・・・。もうやだな」
 こんな夢を見続けていたら精神の方が先に参ってしまう。
 なかなか起きない二人を横に、俺は日が高く昇るまで窓を見続けた。
 この後とんでもない事件に巻き込まれるとは、夢にも思わずに・・・。

To be continued

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